NPB史上唯一のシーズン200安打を2度達成したミスタースワローズが21年間の現役生活を終えた。「ヒットはまだ打てる」と語る男が引退を決めた訳やこれまでの野球人生、最後の日の心境を明かした。(原題:[ヒットメーカーの決断]青木宣親「幸せを感じまくって」)
神宮球場の空は、夕陽に溶け出していた。薄水色に桃色を落としたような色彩の中に、高層ビル群のシルエットが浮かぶ。
右翼席脇の通路から、青木宣親がバットを抱えて球場に入ってくる。クラブハウスと球場を結ぶ通称「荒木トンネル」をくぐり、ビール倉庫の脇を抜けて、芝生の上に一歩を踏み出す。ライトスタンドから降り注ぐ歓声が背中を押す。見慣れた試合前の景色をゆっくり味わうように、青木はぐるりとスタンドを見渡し、右手を高く挙げた。
2024年10月2日、ヤクルト対広島戦。稀代のバットマンの引退試合は温かい空気に包まれていた。高津臣吾監督や選手だけではなく、ボールボーイのユニフォームまで背番号は「23」。スタンドでは広島ファンも「23」の応援ボードを掲げて声援を送った。試合前の円陣では、早くも村上宗隆が涙を流し、青木も思わずもらい泣き。愛息の始球式を見守ると、もう堪えきれなかった。
「絶対泣くだろうと思ってはいましたが、あそこまで泣くとは(笑)。練習の時から一緒に戦ってきた仲間や裏方さんの顔を見てグッとくるものがあって、その後裏に引っ込んで(山田)哲人と話している時も涙が出たし……。最初から泣きっぱなしでした」
バットマンのスイッチが入ったのは、2死一塁で迎えた2回の第2打席だった。広島の先発・床田寛樹が投じた3球目のストレートに対し、フルスイングで空振り。続く4球目、同じ外角高めのストレートに対して、今度は逆らわずレフト前に運んだ。
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photograph by Shunsuke Imai