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【独占告白】「もうあんな思いはしたくない」坂井瑠星が豪州で経験した“しんどい日々”と飛躍のケンタッキー「矢作厩舎じゃなければ、今の僕はありません」
東日本大震災による悲しみに包まれていた2011年3月。当時世界最高賞金のドバイワールドカップをヴィクトワールピサが勝ち、日本調教馬初の快挙を達成した。日本にも馴染みの深いミルコ・デムーロ騎手は馬上で日の丸を掲げ、祈りを捧げた。
中学1年生の坂井瑠星は家族旅行が中止となった代わりに、負傷休養中だった騎手の父とドバイにいた。センセーショナルな勝利にも、大きなスケールと煌びやかさを誇るメイダン競馬場にも強い衝撃を受けた。
「ドバイで乗りたい。ここで勝ちたい」
物心つく前から騎手になりたいと夢見て、幼稚園の卒園アルバムに将来の夢は「騎手」と書いていた少年が、ハッキリと世界を意識した瞬間だった。
下積みも知識もあったが「こんなに勝てないのか」。
彼のルーツは公営・大井競馬場にある。父・英光はそこの騎手だった。幼稚園の頃にはすっかり父の大ファンになり、幼稚園のバスで競馬を知らない先生に「なんで的場文男さんばっかり勝つの?」と聞いて困惑させた。自宅で大きな馬のぬいぐるみに跨り、父からもらった鞭を片手に騎手の真似事をした。それは小学生になると、騎手が練習で使用する木馬に進化。父に騎乗フォームを教えてもらい、父が競馬で不在の日にはバランスボールの上でゲームのコントローラーを手に騎乗姿勢を取り、騎手の疑似体験ができるゲームをプレイした。
筋金入りの競馬ファンでもある。毎朝スポーツ紙を見て父の騎乗馬を確認して登校するなどエピソードは尽きない。そんな競馬少年も小学5年生から中山競馬場で乗馬を習い始め、中学3年生では競馬学校ジュニアチームに入り、馬事公苑で毎日汗を流した。指導者の一人は、パリ五輪の総合馬術団体で銅メダルを獲得した戸本一真。JRA職員でもある戸本から障害飛越を、もう一人の指導者・岡崎詠司から基礎を習うと、「飛躍的に上達した」と述懐する。
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