#1107
巻頭特集

記事を
ブックマークする

【独占告白】「もうあんな思いはしたくない」坂井瑠星が豪州で経験した“しんどい日々”と飛躍のケンタッキー「矢作厩舎じゃなければ、今の僕はありません」

2024/10/25
高松宮記念を制してJRA・GI5勝目をあげた坂井瑠星
幼い頃から持ち続ける海の向こうへの憧れは、押しも押されぬトップジョッキーとなり、国内外の大舞台を経験した今もなお、揺らいでいない。「世界で勝てる騎手」を目指し、今秋、フォーエバーヤングと再び米国へ。気鋭の27歳は謙虚でいながら、壮大な野望を抱く。(原題:[俊英インタビュー]坂井瑠星の夢は世界を駆ける)

 東日本大震災による悲しみに包まれていた2011年3月。当時世界最高賞金のドバイワールドカップをヴィクトワールピサが勝ち、日本調教馬初の快挙を達成した。日本にも馴染みの深いミルコ・デムーロ騎手は馬上で日の丸を掲げ、祈りを捧げた。

 中学1年生の坂井瑠星は家族旅行が中止となった代わりに、負傷休養中だった騎手の父とドバイにいた。センセーショナルな勝利にも、大きなスケールと煌びやかさを誇るメイダン競馬場にも強い衝撃を受けた。

「ドバイで乗りたい。ここで勝ちたい」

 物心つく前から騎手になりたいと夢見て、幼稚園の卒園アルバムに将来の夢は「騎手」と書いていた少年が、ハッキリと世界を意識した瞬間だった。

下積みも知識もあったが「こんなに勝てないのか」。

 彼のルーツは公営・大井競馬場にある。父・英光はそこの騎手だった。幼稚園の頃にはすっかり父の大ファンになり、幼稚園のバスで競馬を知らない先生に「なんで的場文男さんばっかり勝つの?」と聞いて困惑させた。自宅で大きな馬のぬいぐるみに跨り、父からもらった鞭を片手に騎手の真似事をした。それは小学生になると、騎手が練習で使用する木馬に進化。父に騎乗フォームを教えてもらい、父が競馬で不在の日にはバランスボールの上でゲームのコントローラーを手に騎乗姿勢を取り、騎手の疑似体験ができるゲームをプレイした。

Tamami Tsukui
Tamami Tsukui

 筋金入りの競馬ファンでもある。毎朝スポーツ紙を見て父の騎乗馬を確認して登校するなどエピソードは尽きない。そんな競馬少年も小学5年生から中山競馬場で乗馬を習い始め、中学3年生では競馬学校ジュニアチームに入り、馬事公苑で毎日汗を流した。指導者の一人は、パリ五輪の総合馬術団体で銅メダルを獲得した戸本一真。JRA職員でもある戸本から障害飛越を、もう一人の指導者・岡崎詠司から基礎を習うと、「飛躍的に上達した」と述懐する。

全ての写真を見る -1枚-
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Tamami Tsukui

0

0

0

前記事 次記事