名古屋から電車で50分ほど南に下りたところに、酢の醸造が盛んな愛知県半田市がある。小高い丘にある半田工科高で実習教員の前田和之は目を丸くして笑った。
「あの件で、こういう形で取材を受けたことはないですね。さすがに初めて。どこまで憶えているか……」
無理はない。もう26年も前の話だ。
前田和は卓球部の顧問を務めるが、かつてはオリックスの投手だった。入団前に最速149kmを誇り、抑え候補として期待された剛腕である。新人だった1998年、彼が一軍で投げた痕跡は日本野球機構の公式記録集の「チーム別投手成績」に残る。
カズ 20試合登板3勝1敗1セーブ
前田和はこの年、登録名が「カズ」になっていた。同僚たちの名前が並んでいる。
キヨ 3試合登板0勝0敗0セーブ
見慣れないカタカナ2文字がまた飛び込んでくる。カズ、キヨ……。選手名鑑で調べると「キヨ」は杉本潔彦のことだとわかる。ページをめくると、「ヒロ」もいた。
即戦力として1軍に合流した「カズ、ヒロ、キヨ」。
春季キャンプ直前の'98年1月28日。
球団はルーキー3投手の登録名を変更すると発表し、本拠地のグリーンスタジアム神戸でユニフォームがお披露目された。
KAZUとHIROとKIYO。お互いの背中を見た3人は「ちょっと違和感があるよね」と苦笑いしながら言い合った。
だが、その表情は明るい。いずれも即戦力として期待され、宮古島キャンプでの一軍スタートが決まったからだ。
前年の'97年は球団に停滞ムードが漂っていた。'95年からリーグ連覇を果たし、常勝チームに変貌すると、悩ましいジレンマが生じていた。勝つこと、イチローが打つことが当たり前になったため、新鮮さが失われ、球場からじわりと客足が遠のいたのだ。
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