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【米国直撃インタビュー】藤浪晋太郎が大阪桐蔭で学んだ“泥臭く、粘り強く”の舞台裏「強張った表情の西谷先生が…」「革命の指導者の演説と同じ」

2024/08/09
現在メッツ傘下でプレーする藤浪。米国でインタビューに応じた
春夏連覇を達成した常勝軍団のエースは遠くアメリカのマイナーで戦いを続けている。日本から訪ねると、柔らかな表情で迎えてくれた。30歳となった今、濃密だった3年間を振り返る。(原題:[米国直撃]藤浪晋太郎(大阪桐蔭)「風が吹いたときこそ」)

 ニューヨークのマンハッタンから北へ車で4時間ほど走るとカナダとの国境近くにシラキュースという街がある。かつては重工業で栄えたが、今は俳優トム・クルーズの出身地として、あるいは有名私立大学やニューヨーク・メッツ傘下の3Aチームの所在地として知られている。

 7月10日、午後2時過ぎ。街の北西にあるシラキュース・メッツのホームスタジアムでは投手たちが外野の芝生でキャッチボールを始めていた。3mに満たない外野フェンスの向こうには未舗装の砂利道と茂みが広がっていて、ホームランが出ればボールはまず見つからないだろう。一枚板の客席に、ホットドッグとビールのフードカート。映画に出てきそうなマイナー球場で肩をならすメジャー予備軍たち。その中にひとり、チームメートの倍以上の距離でキャッチボールをしている投手がいた。彼の球はそれでいて誰よりも低く伸びていく。頭ひとつ抜きん出た長身と黒髪だけでなく、このスポーツへの取り組み方そのものが周囲とは異質なのだと分かる。

強度も緊張感も技術レベルも桁違い。鼻をへし折られるスタート。

 日本各地で高校球児たちが地方大会を戦い始めた7月半ば、藤浪晋太郎は1万500km離れたアメリカ大陸の辺境にいた。

〈高校の時、練習中に「自主課題」という時間があったんです。それぞれが自分に必要なメニューを考えるんですが、そこで自分はよく遠投をしていました。50mくらいの距離でゆっくりと球を伸ばす練習です。他にもシャドーピッチングやフィールディングなどもやっていました〉

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photograph by Takuya Sugiyama / Hideki Sugiyama

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