デビューから音速の末脚が炸裂するまでの数カ月、熱発を繰り返す傑物を前に、百戦錬磨の“家康”は野心と信条の狭間で揺れた。生前の取材から描き出す、“鳴くまで待つ”ホースマン、小林稔の国盗り物語。(原題:[名伯楽の野望]1996フサイチコンコルド「仮面を捨てた天下人」)
2000年の夏、大正生まれのホースマンにゆっくりと話を聞く機会があった。かつてJRAが刊行していた「調教師の本」(引退した調教師の足跡をまとめた内部資料用の単行本)の取材で、前年2月末に定年を迎えた元調教師・小林稔をインタビューしたのだ。
取材の最中に彼は何度も「天下を獲る」というフレーズを口にした。変わってないなと私は思った。引退後はしばらく、仏閣巡りに精を出したというほどの歴史好き。以前からこの人は時代がかった言い回しを好むところがあった。
歴史好きといえば、現役時代の小林にはこんな話もよく聞かされた。
「織田信長と徳川家康なら断然、信長に憧れるな。でも信長は天下を獲れなかっただろう? 人間的な魅力には乏しくても、天下を獲ったのは家康だったんだ」
だから常々、「健康、努力、忍耐」を自分のモットーにしているという話の流れである。信長に憧れながらも、家康のように生きた調教師。そんな小林の大願を叶えた馬がフサイチコンコルドだった。
小林の父・三雄三は岩手から上京して目黒競馬場の騎手になった人で、その後、関西へ移って厩舎を開業。小林は父のもとで1944年に騎手免許を取得した。
しかし終戦後の'50年頃、乱高下する景気の荒波に呑み込まれた父の厩舎は倒産してしまう。三雄三は隠居し、拠点を失った小林は北海道へ渡った。
「借金もしたし、どん底だったね。でも、あの悔しさをバネに『自分はいつか絶対、天下を獲ってやる』と心に誓ったんだ」
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photograph by SANKEI SHIMBUN