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「最悪な夜を宝物に変えて」山本由伸、屈辱を乗り越えてのMLB初勝利と“アジア人”の絆《朴賛浩&野茂英雄が切り拓いた30年の道》

2024/04/18
日本球界で抜群の実績を残し、破格の12年契約を結んだ25歳。だが、韓国の地で迎えたデビュー登板では、早々にKOされてしまう。それでも挑み続けることで、アジア人選手の歴史は刻まれていく。(原題:[新天地での第一歩]山本由伸「試練を乗り越えて」)

 ちょうど30年前の、春の夜のことだ。ロサンゼルス・ドジャースのユニフォームを着た初めてのアジア人投手が、メジャーデビューを果たした。1994年4月8日、アトランタ・ブレーブス戦。4点ビハインドの9回のマウンドに上がったのは、アマチュア選手として当時破格の120万ドルの契約金で入団した韓国人右腕だった。

 緊張でボールが手につかない。先頭から打者2人に対し、2球しかストライクが入らず連続四球。テリー・ペンドルトンに初球をレフト線に運ばれ、1死も取れぬまま走者2人の生還を許した。ハビー・ロペスから三振を奪って何とか落ち着きを取り戻して後続を断ったが、20歳の青年は失意に背中を丸めたままマウンドを降りた。

 こともあろうに、その試合でドジャースは相手投手のケント・マーカーにノーヒットノーランを喫して完敗した。冷え切ったダグアウト。デビュー戦の屈辱に、首を垂れていた右腕の元に当時のドジャース監督、トミー・ラソーダが歩み寄った。固く抱きしめ、1個のボールを差し出した。

「これはどういう意味だ?」

 片言の英語で尋ねた。屈辱を味わった初登板のボールに何の意味があるのかと訝ったのだ。老将は静かに諭した。

「これはいつか必ず、歴史に残る宝物になる。君が韓国人として初めて三振を奪ったボールだ。誇りをもちなさい」

投手史上最高額で入団した山本の初戦はわずか1イニングKO。

 2024年3月21日、韓国・ソウルの高尺スカイドーム。投手史上最高の12年総額3億2500万ドルで入団した右腕が、メジャーで一歩を踏み出した。独特のショートアームからキレのある直球と七色の変化球を正確に操る、3年連続の沢村賞投手。

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photograph by Yukihito Taguchi

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