#954
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《兄弟対談》遠藤彰弘と遠藤保仁が語り合った監督論、ガンバ大阪、マイアミの奇跡「なぜ西野朗さんのメッセージは伝わりやすいのか?」

2024/02/25
兄・彰弘(右)と弟・保仁の遠藤ブラザーズが対談
W杯に臨む代表チームを大会2カ月前に託された指揮官・西野朗。日本サッカーの命運を握る彼の手腕はいかなるものなのか。アトランタ五輪で奇跡をともに起こした兄と、ガンバ大阪でともに 一時代を築いた弟が語り合った。(初出:Number954号 [兄弟対談]遠藤彰弘 × 遠藤保仁「西野戦術を解き明かす」)

 “遠藤ブラザーズ”と西野朗の結びつきは深い。

 兄・彰弘は1996年アトランタ五輪代表で10番を背負い、ブラジル代表を撃破する「マイアミの奇跡」を起こしたメンバーの一人。弟・保仁はガンバ大阪の攻撃サッカーの中核を担い、2005年のJ1初制覇、'08年のACL優勝など多くのタイトルを獲得。10年にわたって西野のもとでプレーしている。

 時の人になったアトランタでの旋風と、名将に押し上げたガンバでの成功。2人が語る西野朗の実像とは―。

©Naoyoshi Sueishi
©Naoyoshi Sueishi

―ハリルホジッチ監督の契約解除に伴い、技術委員長だった西野さんが監督に就任した際、驚きはありました?

彰弘 まったく驚かなかったですね。外国人監督を連れてくる時間もないだろうし、個人的には岡田(武史)さんか西野さん、そのどちらかだろうなって。

保仁 本大会の2カ月前でしょ。このタイミングでは(内部に)限られてくるんじゃないかとは思っていました。

―細かく指示していくタイプではなく、選手の判断を尊重する監督というイメージがあります。実際、アトランタ五輪のときはどうでした?

彰弘 あのブラジル戦、僕のポジションは右のアウトサイドで対面にはロベルト・カルロスがいました。指示は「バランスを取れ」と言われたぐらいで、臨機応変にやってくれということでした。5バックみたいになりましたけど、あれはロベカルに下げられたようなもの。そういったことも自分たちで判断していきました。

保仁 当時僕は高校2年。U─16代表の遠征でタイに行ってたんですよ。確か、ホテルのロビーでブラジルに勝ったと聞いて“うわっ、すげえ”ってみんなで驚いた記憶があるかな。ハイライトで試合を見て、(川口)能活さんが止めまくって、テルさん(伊東輝悦)がポンと押し込んだシーンはやっぱり記憶に残っていますね。

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photograph by Naohiro Kurashina

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