栗東トレセンの近くに住んでいる子供たちは、小学5年生になるとトレセン隣接の乗馬クラブ「スポーツ少年団」の一員となって乗馬と馬のお世話を体験することができる。福永祐一も誘われるままに入団したが、「そこでの会話が競馬一色なことにどうしても馴染めなかった」という理由でたった1年でやめてしまう。競馬にまったく興味を示さない少年だったのだ。
そんな祐一少年が、いきなり「騎手になる」と言い出したのは中学2年生のとき。きっかけは学校で行われた進路相談だった。
「自分の将来について初めて具体的に考えたとき、騎手という選択肢が急に現実的と思えたんです。“福永洋一の息子”というのは大きなアドバンテージだと思ったし、この境遇を活かすことなく違う道に進んでしまったら、きっと後悔するんだろうなと、それだけはなぜか確信が持てたんです」
母・裕美子さんの猛反対は、説得の隙間さえ見つからないほどのものだったという。そこへ北橋修二元調教師(当時は現役)が割って入ってくれた。「男の子が言い出したんだから簡単に引っ込みがつくようなものじゃないでしょ」と、独特の柔らかい話し方で裕美子さんを翻意させた。最初の一歩を進めてくれたのは、のちの師匠であり、父親がわりとして幼少時の祐一を動物園に連れて行くなど、家族ぐるみの親交があった古くからの恩人だったのだ。
'23年2月16日、栗東トレセンで騎手としての最後の調教に臨んだ日。福永は、17年前に解散した北橋厩舎の調教服を着て現れた。実家のタンスの奥深く、裕美子さんが大事にしまっていたものをこの前日に見つけだしたのだという。「(来年開業予定の)福永厩舎の調教服もこれがいいかな」と、宝物を発掘した子供のように表情を輝かせた福永。騎手福永を支えたもう一人の大恩人、瀬戸口勉元調教師の墓参りも、報告を兼ねて前日に済ませてきたそうだ。
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