その日、豪奢なステージの上で「夢見心地」と語ったのは、“地獄”からの生還者だった。敗者ひしめく大井競馬場を知る盟友たちの証言から紡ぐ、至高のシンデレラストーリー。
その日の主役になるはずの男は、まるで他人事のように振舞っていた。
「(ステージの)後ろの方で、この後、何を食って帰るかという話をしていたんですよ」
サンドウィッチマンの伊達みきおとのそんな会話を思い出すのは、旧知の間柄である東京ダイナマイトのハチミツ二郎だ。
2007年12月23日。M-1史上最大のシンデレラストーリーは、敗者復活戦会場となった大井競馬場から始まった。
午後6時30分、7回目のM-1決勝のオンエアがスタートする。敗者復活戦を勝ち抜いた組が発表されるのは、2番目の組のネタが終わった後だった。時間で言うと、午後7時過ぎ。とっぷり日が暮れ、気温が一気に下がる。
敗者復活戦の出場者は、競馬場の薄暗い特設ステージに集まり、体を震わせながら発表の瞬間を待っていた。
M-1で初めて敗者復活戦が採用されたのは、2002年の第2回大会でのことだった。準決勝における見落としを防ぐため。それが大義名分だった。しかし、ただやるのではなく、そこには多分にテレビ的な味付けが施された。
大阪組は夜行バスで東京入りさせられるが、会場に楽屋や控え室などが用意されているわけではなく、そこらへんで寝転がって、そこらへんで着替えるしかなかった。また、ステージは、寒風吹きすさぶ屋外に設置された。それもこれも敗者復活戦の「地獄感」を演出するためだった。
敗者復活戦の会場は、何度か変わっている。印象的なところでは、2005年の神宮球場がある。そして、'07年から'10年まで使用されたのが大井競馬場だった。
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photograph by M-1 GRANDPRIX