白鷺のつがいをイメージした巨大な屋根と観客席の合間から、朝の陽の光がピッチへと注がれる。光が地面に届き始めると、端正に刈り込まれた芝の緑が線となって輝き、徐々に影が伸びていく。
「その影の動きは思ったよりも早くて、いつもここからスタジアムを見ていると、地球の自転を感じるんですよ」と、輪嶋正隆がしみじみと言った。
彼は日本サッカーの「聖地」と呼ばれるスタジアムのそんな風景を、「埼玉スタジアム2002公園管理事務所」でピッチの芝を管理するグラウンドキーパーとして、20年近くにわたって見続けてきた人だ。
「浦和美園駅から自転車に乗って埼スタに向かうと、いろんな自然の要素が目に入ってくるんです」
管理を任されている駅前にロータリーの芝、補修用の圃場、木々の芽吹きや落ち葉の塩梅、道端の雑草の様子……。それら全ての動きがピッチの芝にもつながっているという。
「まァ、植物バカみたいなものですね」と彼は少しテレ臭そうに笑った。
20年前、まだスタジアムの周囲には田畑が広がるばかりだった。
今では多くのマンションや住宅地、大手のスーパー、学校や保育園もできた。一つのスタジアム建設をきっかけに、この街は作り上げられていった。その変化の全てを彼はその目で見てきたのだ。
埼玉県に「サッカー専用」のスタジアムを建設する。この計画が浦和市で始まったのは1992年2月のことだった。
埼玉県サッカー協会が新スタジアムの建設とともに、招致が進められていたW杯の会場地立候補の請願を提出。最初は4万人規模の予定だったが、当時の土屋義彦知事の肝いりで、決勝戦会場におけるFIFAの条件である「6万人規模」に計画が変更された。
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています