#1044
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[永世を懸けた頂上決戦]渡辺明「負けていたら、今の自分はない」

2022/01/21
この対局の勝者が史上初の永世竜王の位に就く――。最強の挑戦者を迎え、将棋の里・天童で繰り広げた空前の名勝負を決したものは果たしてなんだったのか。現名人が、今も語り継がれる歴史的一局を回想する。

 竜王である渡辺明がホテルの自室を出たのは午前8時50分だった。エレベーターを降りて、対局室の襖を開けると、14歳年長の挑戦者・羽生善治はもう座していた。

 想定した通りだった。

《入室順には規定がないのですが、挑戦者が先に入るという意識を持っている人が多いんです。エレベーターや対局室の前でばったりというのは気まずいですから、私は挑戦者のときは開始14分前、保持者のときは10分前を目標に部屋を出るんです》

 些細なことでも成り行き任せを嫌う。渡辺はそういう男だった。

 2008年12月17日、山形県天童市での竜王戦第7局は「100年に一度の大勝負」と言われていた。羽生が勝てば永世七冠に、渡辺が勝てば永世竜王に、ともに永世称号を懸けた対局の決着を報じようと、将棋駒の産地・天童にはかつてない数の報道陣が駆けつけていた。

 振り駒によって先手は羽生となった。一流棋士個人で比較すると、先手と後手では勝率にしておよそ1割の差があるという。トップレベルになるほど、一手先んじる有利さをそのまま勝ちに結びつける技術を持っているからだ。

 ただ、この日の渡辺は気まぐれな振り駒の行方を不運だとは感じなかった。それだけの準備があった。

《後手用の作戦があったんです。先手の出方によって、ふた通りのパターンを研究してありました。天童に向かう道中から、どちらでもいいと考えていました》

 運を天に任せることなく、あらゆることに根拠を持つ。それが渡辺の信条だった。趣味の競馬でもラッキーナンバーなどに縋ったことはなかった。どんなに時間がなくても馬や騎手の特徴、天候やコースの状態などかならず理由を見つけて馬券を買った。

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photograph by Takashi Shimizu

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