ユニフォームを脱ぎ、第2の人生に舵を切った40歳の表情は晴れやかだった。数々の栄光に彩られた18年間は、見えない重圧や仕事を奪われる恐怖の連続だったという。今、明かされる、度重なる苦闘、抱いてきた自己評価、そして自身の変化について――。
鳥谷敬は現役引退の意思を球団に伝える直前、人けのないロッテ二軍浦和球場に愛車を走らせていた。
「先に荷物を撤去しておこうと思って。全部まとめて郵送させてもらった」
10月31日。一軍のレギュラーシーズン全日程終了から一夜明けた朝のことだ。
「あの日から野球道具は触っていない。バットを振りたい、ボールを投げたいという感情も一切ない。手のゴツゴツも早くなくなってくれないかな……」
球界屈指の練習量で名をはせた男は引退発表から3週間が経った頃、随分ほっそりとした顔をイタズラっぽく緩ませた。
最後の一軍出場は6月6日。「それから1カ月は試合に出られなくて、準備するにしても勝利に直結する場面ではなかった」。7月6日に出場選手登録を抹消された頃にはもう引き際を悟っていたという。
「自分ができることは全部やった。出せる数字も全部出した。あの時もう少しやっておけば良かったと思わないように、1年目から『明日もし体が動かなくなったら辞められるか』と毎日自問して、ケガをしている時も『明日できなかったら今日やるな』を繰り返してきた。心残りはない」
どれだけ観察しても、その穏やかな表情からは一点の曇りも探し出せなかった。
16年間着用した縦縞を脱ぎ捨ててから、もう2年が過ぎた。阪神から引退勧告を受けた'19年秋、現役続行を選択して退団。生え抜き選手では2人目の通算2000安打、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場など、数え切れない勲章に彩られた虎の背番号1にしがみつかない覚悟には当時、驚きの声も少なくなかった。
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photograph by Shunsuke Mizukami