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[豪腕インタビュー]澤村拓一「弱さも失敗も全部受け入れて」

2021/11/20
1年前には日本で三軍降格の憂き目を見た男が、メジャーの名門球団で居場所をつかみ取り、世界一の頂にも近づいた。豪腕を振るって米国の地で得たものは何だったのか。発見に満ちた1年を本人が振り返った。

 現実から目を背けるつもりはなかった。162試合の公式戦を終え、迎えたポストシーズン。ワイルドカードゲーム、ディビジョンシリーズの開幕前、レッドソックスのベンチ入りメンバー表に、澤村拓一の名前はなかった。レギュラーシーズン55試合に登板し、終盤では主に勝ち試合の中盤以降を任されていた。それでも、メンバーから外れた。

 チームが勝ち進み、アストロズとのア・リーグチャンピオンシップ(ALCS)ではようやくメンバー登録されたが、今度は敵地での第1戦で厳しい洗礼を浴びる。

 1点ビハインドの8回から登板すると、四球、左前打、死球で無死満塁のピンチを招いて1失点。打者4人相手にアウト1つしか奪えず降板となった。

「こういうところで結果を出しに来たのに……と思いながらずっと過ごしていました」

 勝負球は速球とスプリット。豊富な球種を操るわけではない。NPB時代は、トレーニング方法を巡って、周囲と意見が食い違ったこともある。信念を曲げず、批判されたことも少なくない。自らの生き方を「めちゃくちゃ不器用」と自覚しつつも、ワールドシリーズまであと一歩に迫った1年目。帰国した澤村はゆっくりと回想するかのように語った。

「長かったし、タフな1年でした」

 昨オフ、海外FA権を取得した澤村は、レッドソックスと正式契約を交わした。コロナ禍の影響もあり、ビザ取得が遅れ、キャンプ地のフロリダ州フォートマイヤーズに合流したのは、既にオープン戦が始まっていた3月初めだった。メジャー特有の滑る球、固いマウンド――。過去、日本人投手の誰もが苦慮したように適応には時間が必要だった。ただ、腹は括っていた。

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photograph by Getty Images

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