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[ライバルが明かす松坂との物語(2)]黒木知宏「大輔を上回る投手はいなかった」

2021/11/04
第1戦で松坂が、第2戦は黒木が先発した1999年の球宴で、イチローとの豪華3ショットが実現
マリンスタジアムでの初対戦。西武をホームに迎えた魂のエースは高卒新人のスケールの大きさに息を呑んだ。意地と意地がぶつかった計5回の名勝負に思いを馳せる。

 ロッテのエースだった黒木知宏は、プロ1年目の松坂大輔と対決した最初の2試合を、いまもついきのうのことのように思い出せるという。まず松坂のデビュー3戦目だった1999年4月21日、千葉(現ZOZO)マリンスタジアム。次がその6日後に西武(現メットライフ)ドームで、互いに持てる力の限りを尽くして投げ合った。

「最初は僕が勝ったんですけど、試合後に松坂くんが『同じ相手に二度負けることはできないのでリベンジします』と発言したでしょう。自宅のテレビで見ていて、『何、この野郎、そんなに簡単にリベンジされてたまるか』と思いましたよ。結果は、見事にリベンジされてしまったんですが」

 楽しそうに振り返る黒木は、対決前から松坂のスケールの大きさを感じていた。

「あの初対決の日、球場周辺の道路が渋滞してるんです。いつもなら車で高速の料金所から15分で球場に着くのに40分もかかったのは、僕の現役時代であの一度きり。みんな、僕よりも松坂を見にきてるんだ、スターはすごいなあ、と実感しました」

 いざ試合が始まると、初めて見る怪物の変化球のキレに、思わず息を呑んだ。

「やっぱりスライダーがすごかった。打ち取られた打者が『目の前で消える』『見えねえ』って言うんです。正直、なかなか点を取れないだろうな、と覚悟しました」

 さらに驚かされたのが、松坂がマウンドをスパイクで一所懸命掘っていたことだ。

「マリンのマウンドは僕が投げやすいようにと、傾斜がなだらかになっていたんです。でも、松坂くんは逆に、傾斜が急なほうが自分に合っているから、投げる前に足場の土を蹴飛ばして穴を掘る。おかげで、僕は毎回、その穴に足で土を戻して、踏み固めなきゃいけない。高校を出たばかりの新人が、プロの先輩のホームのマウンドを自分仕様にするなんて普通はできません。それも、自分のテリトリーをちゃんと管理するという、彼の能力の高さのひとつでした」

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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