1998年ドラフト。ともに1位指名でプロの道に進んだ。5歳下の甲子園のスターは、眩しく頼もしい好敵手となった。日本代表、メジャー、古巣復帰。縁ある道を辿った右腕は憶う。
1999年のプロ野球は、ふたりの新人の活躍に沸いた。巨人に入団した背番号19、上原浩治はいきなり20勝をあげて最多勝、最優秀防御率、最多奪三振とセ・リーグの主要タイトルを総なめし、球界を代表する投手となった。そして西武に入った背番号18の松坂大輔は16勝をあげ、高卒新人でいきなり最多勝をマークした。
ふたりは社会的にも話題を提供し、上原の「雑草魂」、松坂の「リベンジ」は、1999年の新語・流行語大賞にも選ばれた。スポーツニュースのみならず、社会事象として取り上げられたほどである。
こうなると、マスコミはふたりを並び立たせる書き方をするものだが、当事者である上原はどう感じていたのか。
「正直なところ、ドラフトが終わって、シーズンが始まる前は『所詮、高校を出たばかりでしょ?』と思ってました。高校を卒業したての選手と、僕のように大学を経験した選手では、フィジカルも、技術も違いますからね。ところが1年目のシーズンが終わってみたら、大輔はただの高校生じゃなかった。とんでもない投手だったんです」
ふたりがフル回転していたプロ入りしてから5年間の成績を比較すると、驚くほど似通っている。当時は当たり前だった先発完投型のエースとして、いまでは絶滅種となった「シーズン200イニング」に、上原は5年間で2度、松坂も1度到達している。数字を見てみよう。
上原 72勝 41完投 878回3分の2
松坂 67勝 34完投 855回3分の1
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photograph by SANKEI SHIMBUN