大会序盤のビッグサプライズであった、史上初の兄妹同日金メダル。その瞬間を特別な思いで見届けた人物がいた。一二三の親友であり、詩の付き人である森和輝氏が明かす、兄と妹を結ぶ絆とは――。
阿部詩の表情はこわばっているように見えた。無理もない。舞台は東京五輪柔道女子52kg級の決勝であり、対峙したのはフランスの実力者ブシャールだった。国際大会デビューから5年で外国人選手に1度しか負けていない詩が、その唯一の黒星をつけられた相手だった。
森和輝はスタンドの前列から身を乗り出した。もう付き人としてできることは、そこから祈りと声を届けることだけだった。
「ブシャールへの対策は十分にやってきたので普段通りにやることが大事でした。せめて声だけでも届けようと思ったんです」
森は日体大柔道部で阿部一二三と同級生だった。オリンピックは遠い夢として微かに胸にあったものの、4年生になる前には別の道を行くべきだと悟った。卒業したら熊本の母校に戻って指導者の道を歩むつもりで教員資格も取っていた。
そんな2019年に、親友の妹であり柔道部の後輩でもある詩から、「付き人として一緒に戦ってほしい」と頼まれた。60kg級と階級も近く、気心も知れた森は詩にとって必要なパートナーなのだという。
森が付き人となった直後のグランドスラム大阪大会の決勝、詩はブシャールの肩車に敗れた。まだ国際舞台で負けを知らなかった詩は畳から降りると号泣した。帰りのタクシーでも泣いていた。両親や一二三や森らが食事に連れ出そうとしたが、「詩は行かない!」と悔しさを抱え込んだ。
当時の森は詩とともに東京オリンピックを目指すのか、熊本に帰るのかまだ決めかねていたが、詩の姿を見ていると気持ちに応えたくなった。
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photograph by Asahi Shimbun