2016年8月、石川祐希はリオデジャネイロ五輪、男子バレーボール会場のスタンドにいた。その2カ月前の最終予選で敗れた時も悔しさは味わったが、眼前で戦う選手たちの目の色は、明らかにそれまでと違う。五輪は漠然と憧れる場所ではなく「厳しい勝負の世界」と実感させられた。
あれから5年を経て、石川は中大を卒業してプロになり、イタリアへ渡った。バレーボール世界最高峰と言われるセリエAでキャリアを積み重ねている。これまでも「世界トップのアウトサイドヒッターになりたい」と目標を掲げ、着実にステップアップを遂げて来た。そこに男子日本代表の「エース」だけでなく、今季は「主将」という肩書も加わった。
そんな彼が、間もなく迎える初の五輪で、求めるものは何なのか。
「言葉を選ばずに言うと、僕はイタリアでプレーする時も“日本バレー界のために”と常に思っていたわけではありません。ですが最も注目度が高いオリンピックで勝てば、日本のバレーボールの価値や評価は高まり、海外でプレーする選手も増え、日本のレベル自体が上がる。自分の目標に近づくためにも、日本代表として勝ちたいです」
'19年のワールドカップで日本は4位と躍進を遂げたが、他の出場国に目を向ければ、五輪出場権がかかった大会ではなかったため、ベストの布陣で臨んだチームは数えるほどだった。いくら4位とはいえ、単純に「五輪でもメダルが狙える」と言うのは少々無理がある。その前年の'18年にイタリア(・ブルガリア)で開催された世界選手権は1次ラウンド敗退。五輪に次ぐビッグタイトルと意気込み臨んだが、石川も周囲と噛み合わず、消化不良のまま終わった。
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