キャプテンとして日本代表を3度に渡って率い、ブンデスでは日本人選手の先達となってきた長谷部。代表とドイツ、公と私の両方をよく知る2人が、“整った男”の素顔について、話に花を咲かせた。
すでに日本では時計の針が0時を回ろうとしている深夜。その日の練習を終え、スペイン・サラゴサの自宅へ戻ったばかりの岡崎慎司と、東京でテレビ出演を終えた直後の内田篤人が久しぶりに顔を合わせる。
2008年に岡田武史監督が率いる日本代表の一員となって以降、長谷部誠キャプテンとともに世界を舞台に戦ってきた。
内田は2010年に、岡崎は2011年に長谷部のあとを追うようにドイツへ渡り、およそ5シーズンを共にブンデスリーガでしのぎを削りあった同志でもある。
そんな岡崎と内田にとって、長谷部誠はどういう存在なのか? 後輩たちの長谷部談義が始まる。
――長谷部誠という人を最初に意識したのはいつでしたか?
内田 俺は岡田ジャパンのとき、長谷部さんが俺の隣でアップしていたのが第一印象。でも長谷部さんは、Jリーグでの初対戦(2006年5月)で、俺が長谷部さんの手を払ったというのを覚えているみたいだけど、全然覚えてなくて。1年目で必死だったし、正直、気にしている場合じゃなかったから。
岡崎 僕もハセさんを身近に感じたのは、僕がドイツへ行って同じ環境になってから。それ以前は、記憶から消えてる。ワールドカップの南アフリカ大会でキャプテンだったけど、ハセさんの印象がないですね。
内田 俺がちゃんと覚えているのは、シャルケへ行く前に「(フェリックス・)マガトは結構大変な監督だけど、真面目にやっていたら試合に使ってくれるから頑張れ」って言ってくれたこと。でも、それ以外はそもそも覚えていない。
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photograph by Daisuke Nakashima / Takuya Sugiyama