#1003
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<西の重鎮の回顧> 松田国英「未来に繋がる変則2冠」

2020/05/29
名馬だけでなく角居勝彦、友道康夫ら名調教師も育て上げた名匠が来年2月、25年間の調教師人生に幕を下ろす。現役最多、2度の栄冠を引き寄せたNHKマイルCからのローテに託していた思いとは。(Number1003号掲載)

 一頭の馬がNHKマイルCと日本ダービーを制する「変則2冠」。この言葉を定着させたのは、キングカメハメハで史上初の変則2冠制覇を達成した松田国英調教師だった。松田調教師が管理馬を初めてダービーに出走させたのは、厩舎開業6年目の2001年だった。

「あの世代は2歳のときから抜けて強い馬が3頭いて、3歳春の大きいレースを勝ち分けましたよね。アグネスタキオンが皐月賞、うちのクロフネがNHKマイルC、そしてジャングルポケットがダービー、と」

 外国産馬のクロフネは以前であればダービーに出走できなかったのだが、この年から制限付きで出走できるようになった。

「クロフネに関しては、馬主さんも騎手も当初はダービーを一番に考えていたようです。けれども、筋肉がすごくついてきたので、NHKマイルCに方向を変えました。当時はまだ、NHKマイルCはダービーに出られない外国馬が出るレース、というイメージが強かったですよね。それでも厩舎としては勝ちたかったし、自信もありました。ですが、ダービーは、相手関係からも、相当厳しい戦いになると思っていました」

 NHKマイルCで厩舎に初めてのGIタイトルをもたらしたクロフネだったが、ダービーは5着に終わった。2頭出しのもう1頭、ボーンキングは4着だった。

世代で断トツだったタニノギムレット。

 その翌年、松田調教師は2度目のダービーで初制覇を果たす。栄冠をプレゼントしてくれたのはタニノギムレットであった。

「あの世代のなかでは、抜けて強かったですね。当初、札幌の芝1800mの2歳新馬戦でデビューさせる予定だったのですが、ゲートが速いからとダート1000mを使ったら2着に敗れた。そのあと函館で調整しているとき、尻尾を骨折したんです。私も経験のないことでしたし、期待馬なのに痛い思いをさせて申し訳なく思いながら調整し、12月の未勝利戦を勝ちました。そうして3歳になってから6戦したわけですが、ダービーはもちろん、6戦すべてを勝つ自信がありました。ファンは6戦すべてで1番人気に支持してくれましたよね」

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photograph by AFLO

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