#998
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<独占インタビュー> 渋野日向子「いつか別格の存在に」

2020/02/27
メジャー制覇で巻き起こった熱狂の嵐を乗り越え、東京五輪や米ツアー挑戦を目標に据えた2020年。新たなシーズンへと踏み出す笑顔のヒロインがじっくり語った、これまでのこと、これからのこと。(Number998号掲載)

 笑うべきか、笑わざるべきか――。

 2019年、対照的な2人のアスリートが日本の話題をさらった。

 笑うことで大いに人を惹きつけたプロゴルファーと、笑わないことで大いに人気を博したラガーマン。

 さて“笑う”人は“笑わない”人のことを一体どう思っていたのだろう。

「私もあれやってみたいです。笑わない渋野!」

 言ったそばから、あっはっはは! と白い歯がこぼれた。

「私には絶対に無理ですね。期間限定で1試合だけでもやってみたいけど、たぶんすぐ笑ってると思う。でも、笑わないっていうのも相当辛いんじゃないですかね。笑わせられても笑えないんですよ? 稲垣(啓太)さんの歯を見たいですもん。まだ見てないですよね? どんな歯をしてんだろ」

 目を爛々とさせて、彼女はまた、はははと笑った。

「トーキョ」を真似て遊んでいた頃。

 渋野日向子はその時、自分の部屋で布団にくるまって眠りこけていた。

 2013年9月8日の午前5時過ぎ。地球の裏側、ブエノスアイレスでは国際オリンピック委員会のジャック・ロゲ会長が、手に持った白い紙をひるがえし、2020年の五輪開催地を告げていた。

「TOKYO!」

 しばらくして目を覚ました渋野は、テレビのニュースでそのことを知った。日本中が開催地決定に沸き返っているようだった。東京でやるなら見に行きたいな。いつものように朝ごはんを食べながらそう思ったのは覚えている。

 すでにゴルファーではあったが、自分がその舞台に立つなんてことは考えもしなかった。学校に行くと、みんな紙に字を書き、ロゲ会長の「トーキョ」を真似て遊んでいた。そんな様子を見ながら無邪気に過ごした、ありきたりな1日。彼女はまだ中学3年生だった。

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photograph by Shin Suzuki

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