笑うべきか、笑わざるべきか――。
2019年、対照的な2人のアスリートが日本の話題をさらった。
笑うことで大いに人を惹きつけたプロゴルファーと、笑わないことで大いに人気を博したラガーマン。
さて“笑う”人は“笑わない”人のことを一体どう思っていたのだろう。
「私もあれやってみたいです。笑わない渋野!」
言ったそばから、あっはっはは! と白い歯がこぼれた。
「私には絶対に無理ですね。期間限定で1試合だけでもやってみたいけど、たぶんすぐ笑ってると思う。でも、笑わないっていうのも相当辛いんじゃないですかね。笑わせられても笑えないんですよ? 稲垣(啓太)さんの歯を見たいですもん。まだ見てないですよね? どんな歯をしてんだろ」
目を爛々とさせて、彼女はまた、はははと笑った。
「トーキョ」を真似て遊んでいた頃。
渋野日向子はその時、自分の部屋で布団にくるまって眠りこけていた。
2013年9月8日の午前5時過ぎ。地球の裏側、ブエノスアイレスでは国際オリンピック委員会のジャック・ロゲ会長が、手に持った白い紙をひるがえし、2020年の五輪開催地を告げていた。
「TOKYO!」
しばらくして目を覚ました渋野は、テレビのニュースでそのことを知った。日本中が開催地決定に沸き返っているようだった。東京でやるなら見に行きたいな。いつものように朝ごはんを食べながらそう思ったのは覚えている。
すでにゴルファーではあったが、自分がその舞台に立つなんてことは考えもしなかった。学校に行くと、みんな紙に字を書き、ロゲ会長の「トーキョ」を真似て遊んでいた。そんな様子を見ながら無邪気に過ごした、ありきたりな1日。彼女はまだ中学3年生だった。
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