ジャパンの最前線を支えたイカつい男は、テレビで見ない日がないほどの人気者となった。その原点を探るべく向かった故郷・新潟には、最強の“ガッキー伝説”が無数残されていた。(初出:Number993・994号<稲垣啓太の少年時代を追う>“笑わない男”のすべらない話。in新潟)
ガッキーの少年時代について、ちょっと調べてきてくれませんか。
その依頼人(ナンバー編集部の編集者だ)は夜遅くにかけてきた電話の向こうで、そう言った。
依頼された仕事は基本的に断らない。だが、なぜガッキーの少年時代を探らなければならないのか? と僕は電話の向こう側に尋ねた。「だって……」、しばしの沈黙の後、彼はこう言った。「むちゃくちゃ面白そうじゃないっすか!」。
結論から言おう。
ガッキーの少年時代の話は、むちゃくちゃ面白かった。もし稲垣啓太がササン朝ペルシアの時代に生まれていたら、シャフリヤール王に向かって千一夜必死に物語を紡ぎ続けるシェヘラザードも、さほど困らなかったに違いない。毎晩、ガッキーの話をしていれば良かっただけだ。
先生の第一声は「痩せなさい!」。
依頼を受けておよそ2週間後、僕は信越本線荻川駅からほど近い居酒屋にいて、目の前に座った2人の男性の話を聞いていた。彼らの名前は、大橋佑允と吉原舜といった。
2人とも稲垣とは市之瀬幼稚園の頃からの幼馴染である。
僕はまず、今ではすっかり有名になった「ホッピング事件」の真偽について大橋に尋ねる。ホッピングで遊んでいたら幼稚園の床が抜けたってホントですか?
大橋は笑いながら即答した。
「だってオレ、すぐ横にいましたもん。いきなり啓太の姿が目の前から消えたんです、忘れるわけないですよ。もう大爆笑。でも、知ってます? 駆けつけた幼稚園の園長先生が最初に言った言葉。『痩せなさい!』ですよ、『大丈夫?』じゃなくて」
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photograph by Atsushi Kondo