#878
巻頭特集

記事を
ブックマークする

<赤ヘル前史> 元祖カープ女子 佐々木久子の生涯。

2015/06/01
原子爆弾投下のわずか4年後、広島カープは生まれた。初代監督の石本秀一はチーム作りより金策に奔走した。その貧乏で弱小の「鯉」を愛し続けた女性がいた――。

 赤また赤。マツダスタジアムは革命なき時代の赤の広場だ。空港ロビーにも駅のホームにもレッドの老若男女が群れをなす。

 その昔。広島市民球場の赤とは赤トンボだった。閑散とした外野の席をのんびりと旋回する。その様子が少し離れた場所からもわかった。8月なのに新聞の担当記者はペンを走らせた。「秋風が吹いた」。優勝のスリムな希望はそうして潰えた。


 あのころ、広島カープのヘルメットは青かった。そのつどユニフォームの色やデザインは変わるも基調は紺がかったブルー。1975年、現在につながる「赤」の導入までの歳月を仮に「青の時代」と呼ぼう。

会員になると続きをお読みいただけます。
オリジナル動画も見放題、
会員サービスの詳細はこちら
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by KYODO

0

0

0

前記事 次記事