原子爆弾投下のわずか4年後、広島カープは生まれた。初代監督の石本秀一はチーム作りより金策に奔走した。その貧乏で弱小の「鯉」を愛し続けた女性がいた――。
赤また赤。マツダスタジアムは革命なき時代の赤の広場だ。空港ロビーにも駅のホームにもレッドの老若男女が群れをなす。
その昔。広島市民球場の赤とは赤トンボだった。閑散とした外野の席をのんびりと旋回する。その様子が少し離れた場所からもわかった。8月なのに新聞の担当記者はペンを走らせた。「秋風が吹いた」。優勝のスリムな希望はそうして潰えた。
あのころ、広島カープのヘルメットは青かった。そのつどユニフォームの色やデザインは変わるも基調は紺がかったブルー。1975年、現在につながる「赤」の導入までの歳月を仮に「青の時代」と呼ぼう。
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photograph by KYODO