#818
巻頭特集

記事を
ブックマークする

<異国での1年を振り返る> 岡田武史 「いま中国を離れる事は私にはできない」

2012/12/14
苦闘の連続だった中国での1年目のシーズンが終わった。
指揮官の地道な指導により、変化の兆しを見せる選手たち。
その手腕に周囲の信頼も厚い。かつて日本を率いた男は、
来季もこの国のサッカーの未来のために心血を注ぐ。

 改革の過程に、オフなどない。

 11月下旬、岡田武史は日本にいた。

 中国スーパーリーグ、杭州緑城のU-19、U-17ユースチームを引き連れ、静岡県・御殿場で強化キャンプを張っていた。

“全権監督”は、U-19、U-17のユースチームの練習まで取り仕切る。

 夕方、寒風吹くグラウンドではU-17の紅白戦が行なわれていた。響き渡る指揮官の喚声。いいプレーをすれば「グッド!」、悪ければ嘆息とともに表情をひん曲げる。感情豊かな大きなリアクションに反応するように、段々と若芽たちのボルテージも上がって声を出していく。冷気を熱気が追いやっていた。

「みんないい声が出てたかな」

 ユースも統括する“全権監督”はグラウンドを出ると、そう言って白い歯をこぼす。だが時計に目をやると、別のグラウンドで練習していたU-19の報告を聞くためか、足早に消えていった。その足取りは軽やかだった。

 中国1年目のシーズンは終わった。

 岡田率いる杭州緑城は、結局16チーム中12位にとどまった。序盤には最下位まで沈みながらも一時5位まで浮上。そこから再び下降線を辿って残留争いに巻き込まれたものの、終盤戦の奮闘で何とか持ちこたえた。下がって上がってまた落ちる。そして最後にちょこっと上がる。その成績の波形を眺めるだけで岡田の苦闘ぶりが伝わってくる。

 日本と中国では文化も思想も違う。システムも違う。その中で岡田はもがきながら、違いよりも不変なものを見出そうとし、チーム改革を断行しようとした。痛みも伴った中国1年目の聖域なきチャレンジ。そこで岡田武史が得たものとは――。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Masahiro Fukuoka

0

0

0

前記事 次記事