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<空白の1年、再びのドラフトへ> 菅野智之 「待ち焦がれた始まりの地へ」

2012/10/22
夢が叶うはずだったその日、運命は暗転した――。
苦渋の決断から1年。再び審判の日が訪れる。
野球エリートが受け入れざるを得なかった空白の時間。
ひたすら己と向き合う日々の中で獲得した
秘やかな自信を胸に、いまはただ静かにその時を待つ。

 生まれて初めて富士山に登った。

 8月27日。快晴の朝だった。

 キツいと言われる須走ルートの5合目を出発したのは午前7時過ぎ。そこから約6時間かけて頂上に立った。

「前から登ってみたいと思っていました。でも多分、一生登らないんじゃないかとも思ってたんです。だって、野球が終わっておっさんになってから登るのは嫌だったから……」

 普通にプロの世界に飛び込んでいたら、おそらくおっさんになるまでチャンスはなかったはずだ。でも、今は時間がある。こうして浪人したから日本一の頂から世界を眺め、名物のカレーライスも食べることができた。

――必ず何かを手に入れ、必ず大きくなって巨人の指名を受ける。

1年間の浪人生活で一番辛かったのは「同級生がいなかったこと」。

 菅野智之がそう誓った1年が、もうすぐ終わろうとしている。

 昨年10月27日のドラフト会議で、この右腕の夢は破れた。東海大野球部総監督の原貢を祖父に、巨人監督の原辰徳を伯父に持ち、子供の頃からプロ野球選手になるというのは巨人の選手になるというのと同義語だった。ところが、夢が現実となるはずだったその日、くじ引きの末に交渉権を獲得したのは巨人ではなく日本ハムだった。

 事前の挨拶もない突然の指名に周囲の憤りは高まった。ただ、菅野の心は不思議なほど冷めていた。日本ハムの話も聞き、改めて自分自身で自分の将来を見つめ直した。

 その結果、自らの意思で1年間の浪人という過酷な道を選択した。

「一番辛かったのは……同級生がいなかったことですね。もちろん下の連中も色々と気を使って良くやってくれているんですけど、こういう環境って今までなかったから(笑)」

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photograph by Hideki Sugiyama

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