高校野球は、甲子園がすべてではない。
今夏、勇退を決めた離島の監督と、今春から復帰した分校の監督。
野球部を一から作った2人の人生を辿り、彼らが教え子たちに伝えてきた想いを聞いた。
今夏、勇退を決めた離島の監督と、今春から復帰した分校の監督。
野球部を一から作った2人の人生を辿り、彼らが教え子たちに伝えてきた想いを聞いた。
熱戦が続く甲子園大会を尻目に、鹿児島市から約380km離れた南海の小島、喜界島を訪ねた。この日、島唯一の高校、喜界高校のグラウンドでは、お盆で帰省した者を含めた野球部OB対現役部員31人の交流戦が行なわれていた。現役組の指揮を執ったのは、久保正樹監督。30年間にわたって同校野球部を率いた久保は今夏の鹿児島県大会を区切りに勇退を決意。グラウンドには妻の節子と次女の志保も駆けつけ、最後の采配を見守った。
久保は弁当屋を経営しながら、早朝の出前、午後の練習と二足ワラジで選手を鍛えてきた。それは、こんな思いがあったからだ。
「島出身の人間は、県内でもどっかで見下されることが多かった。自分もそんな体験をしました。刺激のない島の子は、素直な反面、自分を表現するのが下手なんです。野球でプロを目指した一人として、野球を通じて、社会に出てから本土に負けないエネルギーを与えたい。そう思ってやってきました」
久保は1946年生まれの66歳。喜界中で野球を始め、鹿児島玉龍高校から拓殖大に進学し、投手として活躍。卒業後、社会人野球・日拓ホームに所属し、チームが1年後に廃部になると拓大のコーチを務め、その後、プロゴルファーの夢を追いかけた。だが30歳のとき、家業の立て直しのために帰郷。経歴を買われ、喜界高から監督就任の要請があったのは、弁当屋の経営が軌道に乗り、長男・拓郎が2歳を迎える頃だった。「特別課外授業非常勤講師」という肩書きこそついていたが、無報酬のボランティアだった。
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photograph by Atsushi Hashimoto