サッカーと決別した。為すべきは、タフで泥臭いひたむきなサッカーだ。
監督リッピとGMモッジ、2人の大胆なプランの下、勝者に変貌した
クラブの組織改革の肝要を探る。
1996年3月20日。ユベントスはトリノのスタディオ・デッレ・アルピにレアル・マドリーを迎え、CL準々決勝セカンドレグの戦いに臨もうとしていた。
ファーストレグはラウール・ゴンサレスにゴールを奪われ0-1の敗戦。だが、敗れたとはいえ互角以上の内容で渡り合えたことで、ユベントスの選手たちは戦前には持ち得なかった自信を得ていた。
前半16分、ペナルティエリアのすぐ外で得たFKをデル・ピエーロが直接ゴールに蹴りこみ、ユベントスは絶対に欲しかった先制点を奪う。直後にマドリーの反撃が開始されたが、ユベントスの選手たちは勤勉にプレスをかけ続け、マドリーの攻撃を凌いでいく。後半8分にはパドバーノの追加点で2-0。その後さらに激しさを増したマドリーの猛攻を耐え抜き、試合終了直前の絶体絶命のピンチも凌いで、ユベントスは遂に試合終了のホイッスルを聞いた。
前年にロベルト・バッジョを放出し“10番”に頼らないサッカーを模索していたユベントスにとって、目指す方向性に確信を抱かせ、その後のタイトルラッシュへの転機となる勝利であった。
華やかなイメージのチームを貫いていたのは、泥臭い信念だった。
「試合を終えた後、すべての選手のユニフォームが酷く汚れている。ユニフォームには土の茶と芝の緑が汗にまみれて染みこみ、白はもはや白くない。なかには肩や背中のあたりがボロボロに引き裂かれている者もいる。選手は常に全力を尽くして戦ってくれた。
試合前のロッカールームで私がいつも選手に言っていたのは、『敵を押しつぶせ』というひと言だ。たとえ技術で劣ろうと、気迫では負けない。そんな戦い方を、相手がレアルでも、イタリアの田舎クラブでも変えることはなかった」
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