長年、現役で活躍し続けるベテラン選手にも初々しい新人時代があった。
あまりのレベルの違いに愕然としながらも、崖っぷちから這い上がってきた
若き日の山本昌。今やチームの顔となった最高齢選手“マサ”が鮮やかに
思い出す、プロ野球界の門を叩いた若き日の心象風景――。
あまりのレベルの違いに愕然としながらも、崖っぷちから這い上がってきた
若き日の山本昌。今やチームの顔となった最高齢選手“マサ”が鮮やかに
思い出す、プロ野球界の門を叩いた若き日の心象風景――。
「とんでもないところに来てしまった」
'84年1月8日、ナゴヤ球場ではじまった新人合同練習に参加した18歳の山本昌広は、高校とは別次元の激しい練習を平然と課すプロの凄さに圧倒されていた。45歳を迎えた今シーズンもユニフォームを着続ける現役最高齢選手も、中日に入団した時点では、明らかに“持たざる新人”だった。
日大藤沢高時代は平凡な投手だった。目立った活躍はなく、甲子園にも出場していない。3年の秋に神奈川選抜vs.韓国代表の一戦で先発して、7回を無失点に抑える好投を見せ、一気にスカウトの注目を集める。それでも本人の頭にプロという選択肢はなかった。大学に進学し、中学か高校の社会科の教師になって、野球部の監督に。そんな堅実な将来像を描いていた。だが、ドラフト当日――。
「たしか6時限目の途中だったかな。教頭先生が教室にいたぼくを呼び出して、『中日に5位で指名されたよ』と教えてくれたんです。中日のスカウトの方には一度もお会いしてなかったし、ただひたすら驚きましたね」
この年の中日が1位に指名したのは享栄高のスラッガー、藤王康晴。同郷で、'83年の甲子園の春・夏準優勝投手となった横浜商高の三浦将明も3位で指名された。
小松辰雄、鈴木孝政、牛島和彦、郭源治らの投球に愕然。
「指名されたことは光栄だし、プロから認められて嬉しかったけど、大学に行くつもりだったからどう断ろうかと悩みました。それなのに中日ファンのオヤジは『プロになれよ』と無責任に背中を押す(笑)。入団すればオヤジは喜ぶし、スカウトの方のメンツも立つ。八方丸く収まるならと、決断したんです」
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Naoya Sanuki