< 記事に戻る 「アントニオ猪木でも死ぬんだ」没後1年、燃える闘魂の遺骨は“ある場所”を旅していた…猪木番カメラマンが記した「猪木のいない1年間」 イタリアも好きだった猪木はブティックで服を試着。1988年1月、ローマ ©Essei Hara この記事を読む