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市民ランナーが世界陸上選手権へ!
第5回東京マラソンで起きた奇跡。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShiro Miyake
posted2011/02/28 12:15
レース直後、車いすで医務室へ運ばれた川内優輝。表彰式までには回復し、「(レース後は)いつも死んでもいいと思っています!」と話した
40kmを過ぎてからは出場選手最高タイムをマークした。
5km14分台も記録するハイペースで進んだレース。
25kmすぎ、メコネン(エチオピア)らが集団を飛び出すが、川内は自重し、尾田賢典(トヨタ自動車)らと並走する。一時は離されるが、慌てずに後方から追い上げて並んだ39kmすぎ、スパートをかけて尾田らを一気に抜き去った。
その後も上りでペースアップを図るなどして、40kmを過ぎてから残りの2.195kmは、出場選手最高タイムをマーク。
タイムは2時間8分37秒。
優勝したメコネン(エチオピア)、2位のビウォット(ケニア)に続き、日本人最上位の3位でゴール。「2時間9分30秒を切り、日本選手中トップ」という条件をクリアし、世界選手権代表に内定したのである。
大会前には、「市民ランナーとしてもやれることを示したい」と抱負を語っていたという。その言葉どおりの走りである。
出場が予定されていた世界記録保持者のゲブレシラシエ(エチオピア)らの欠場で、やや寂しい感じのあった大会を盛り上げる立役者ともなった。
「自由に好きなように楽しく走るというスタイルでやってきた」
「自由に好きなように楽しく走るというスタイルでやってきたから出た結果だと思います。市民ランナーにはまだ可能性があります。どこまでいけるか試してみたいですね」
レース後、川内は語った。
むろん、参加する市民ランナーは、それぞれの目標を抱えて走っている。参加することそのものに意義を感じて、ただ完走を目指して……。誰もが大きな舞台を目指しているわけではない。
そうであっても、市民ランナーとして恵まれた環境にない中で練習に励んできた川内の入賞は、他の多くの市民ランナーにとっても極めて現実的な希望となり得るのではないか。そして、多くの市民に開放される東京マラソンの、真の意義にもつながる入賞ではなかったか。そう思わせられる川内の走りと、今大会であった。