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父親が土下座で謝罪「なんで親が頭を下げなあかんのか」高卒ルーキー衝撃の退団、19歳天才肌のテクニシャンが川崎フロンターレを“勝手に辞めた”理由―2026上半期読まれた記事
posted2026/10/01 06:01
新人時代の田中パウロ淳一。わずか1年で川崎フロンターレを退団し、周囲の反対を押し切って海外挑戦の道を選んだ
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田中パウロ淳一Paulo Junichi Tanaka
photograph by
J.LEAGUE
2026年の期間内(対象:2026年5月~9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。サッカーインタビュー部門の第4位は、こちら!(初公開日 2026年8月15日/肩書などはすべて当時)。
フロンターレで結果を出せなかった僕は完全に追い込まれていた。
試合に出られない。紅白戦にも入れない。練習も別メニュー。まわりとの差は開いていくばかりだった。自分の中で何かがプッツリと切れた。
もうここにはいられない――。
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1年目が終わったあと、「辞めます」とクラブに伝えた。3年契約だから、まだ2年残っていた。でも、自分の意思で辞めることにした。
いわば“勝手に辞めた”形だった。
高卒ルーキーがたった1年で退団するのは異例のことだ。当然、大問題になった。当時、未成年だったため、一人で勝手に決めていいわけがない。
父親が土下座「なんで、そこまでするんや」
親を含めたクラブとの話し合いの場が設けられた。
場所は新横浜プリンスホテル。
フロント、強化部、親、さらに大阪桐蔭の高校の永野監督が同席していた。
目の前で、父親が震えながら、謝罪の言葉とともに土下座した。
「もう一度、やらせてやってください」
正直信じられなかった。なんで、そこまでするんや。
自分の中では「被害者はこっち」という感覚だった。試合にも出られない、居場所もない。だから外に出ようとしているだけだ。
なんで親が頭を下げなあかんのか。
当時の僕は完全に視野が狭くなっていた。それでもクラブは手を差し伸べてくれた。
「もう一度やり直さないか」
すぐに復帰ではなく、まずはクラブの仕事を経験して、そこからもう一度ピッチに戻る。そういう段階的な復帰プランだった。

