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『Mステ』『やべっちF.C.』に五輪キャスターも経験…元テレ朝“看板アナ”の葛藤「自分である必要はあるんだろうか」竹内由恵が“退社”を決断するまで
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篠﨑貴浩Takahiro Shinozaki
photograph byMiki Fukano
posted2026/09/10 17:02
「ミス慶應」からテレビ朝日の看板アナウンサーになった竹内由恵。華やかなキャリアの裏には葛藤もあったという
――生配信の進行ができて、大学時代にはボクシング部のマネージャーも経験している。十分ふさわしいのでは?
竹内 そう言っていただけるとありがたいです。ボクシング中継については、これまでの経験を生かせたという意味で、すごく特別だったと思います。その時々ではバラバラだった経験の“点”が、そこでつながったような感覚があったんです。「やってきたことって、何かに生きるんだな」とは思えました。
30歳を過ぎて考えた「私は挑戦してない」
――そうした「自分は何をできるんだろう」という感覚は、テレビ朝日のアナウンサー時代からあったんですか?
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竹内 20代の頃は、なかったんです。進行するとか、尺を読むとか、情報をきちんと伝えるとか。まだできていないことがたくさんあったので、「まずはそこをしっかりやろう」と思って頑張れたんですよね。でも、ある程度経験を積んで、準備をすればできるようになってくると、別のことを考えるようになりました。
――どんなことですか。
竹内 アスリートだったり、経営者だったり、いろいろな職業の方に会うと、みなさん“語れる人生”を送っているじゃないですか。そういった方々に比べて、「私は挑戦してないな」という感覚が、30歳を超えたくらいから少しずつ出てきたんです。
――『ミュージックステーション』『やべっちF.C.』やオリンピックの現地キャスターも務めて、外からは順調そのものに見えますが……。
竹内 ありがたい経験をたくさんさせてもらいました。ただ、30歳を過ぎた頃から、仕事とは別に「自分自身はこれから何に挑戦したいんだろう」と考えるようになったんです。アスリートや経営者の方にお会いする中で、もっと自分も何かに夢中になってみたい、という気持ちが強くなっていきました。
――2019年に結婚・退社して、東京を離れることになりました。
竹内 そうですね。結婚して静岡に引っ越しました。そこで「じゃあ、これから何をしよう」と考えた時に、仕事とは別に、以前から好きだったコーヒーと改めて向き合い始めました。焙煎の練習をしたり、コーヒーについて勉強したり。会社員の時とは、まったく違う時間の使い方でしたね。
<続く>

