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「最初はどこか勘違いしていた」“高校駅伝の超名門”が「女子短距離で日本一」の衝撃…監督が明かす“失敗からの軌跡”「結果だけを求める想いが…」
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別府響Hibiki Beppu
photograph by佐久長聖高校陸上部提供
posted2026/09/08 11:01
今夏のインターハイで女子トラック種目の総合優勝に輝いた佐久長聖高校陸上部女子。一方で、全国的な強豪になるまでには様々な紆余曲折もあった
「そこで教えていただいたことを参考にしながら、具体的なメニューの運用などは佐久という環境に合わせて少しずつ調整していきました。例えば長野県の場合は気候的にどうしても冬季練習の期間が長くなる。それをマイナスと捉えず、じっくり身体づくりができるとプラスに考えられるように試行錯誤しました。そんな経緯を経て、結果的に少しずつインターハイに出場する人数が増えていきました」
2019年には女子部員3人が全国大会まで出場。男子部員でも全国の舞台までたどり着く選手も出始めていた。
そうして陸上部に全国という舞台で戦える土台が少しずつできはじめていた中で、早川にとっても部にとっても、もうひとつ進化の大きな転機となったのが2020年のコロナ禍だった。
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「そもそも赴任した時に、最初の1年間とその後に自分が勧誘して入ってきてくれた選手たちの3年間を合わせた4年間が大事だなと思っていたんです。2020年は“勝負の4年目”という気持ちもあって、自分も『結果を出すぞ』と、すごく気合が入っていました」
ところが、コロナ禍の中でインターハイの開催中止が決定された。
「もちろん自分もすごく肩透かしをくらいました。でも、それ以上に生徒たちを見ていて、気になることがあったんです」
コロナ禍で感じた「生徒たちへの接し方」のミス
インターハイという目標がなくなる――。それがわかった時、明らかにモチベーションを喪失してしまう選手が出てきたのだ。
「インターハイがなくなったことで、これまであんなに頑張ってきたのに、練習を止めてしまった選手もいて。それを見たときに『あぁ、これは自分の生徒たちへの接し方が間違っていたな』と思ったんです」
かつての躓きから、全国各地の強豪校に出向き、様々な知見を吸収した。そこで学んだ知識は間違いなく正しく、順調に結果も出はじめた。しかも、赴任当初に定めた勝負の年を迎えるタイミングでもある。だからこそ早川の中では知らず知らずのうちに、その「結果」を求める強い想いが正当化されていた。
もちろんインターハイに代表される、わかりやすい成果だけを追いかけたつもりは早川にも毛頭なかった。だが「今思えば無意識のうちにそういう想いが滲み出てしまっていたんだと思います」と本人は振り返る。

