NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「池山さんはダメな奴にも優しかった」ヤクルト・池山隆寛監督が“熱血漢”から変貌した「空白の一日」とは…部下が語る“親分”の素顔
posted2026/09/10 17:07
今シーズンよりヤクルトスワローズを率いる池山隆寛監督
text by

佐井陽介Yosuke Sai
photograph by
SANKEI SHIMBUN
発売中のNumber1150号に掲載の[部下たちが見た本質]「親分の変貌。」より内容を一部抜粋してお届けします。
「池山さんはダメな奴にも優しかった」
もう40年近くも前の話だ。
1980年代の後半、ヤクルトには極度の送球難に苦しむ若者がいた。ポジションはショート。ドラフト2位で高卒入団した彼はプロ入り後の数年間、埼玉県戸田市にある二軍球場で朝から晩までスローイング練習に明け暮れていた。
高校3年の夏に千葉大会記録となる5本塁打を放ったスラッガーだというのに、キャンプの夜間練習中も特打はそっちのけで1人きりの送球練習を命じられる。イップスとも噂され、極限まで気が滅入っていた頃、彼はコテコテの関西弁でまくしたててくる3歳上の先輩に何度となく救われた。
ADVERTISEMENT
「当時の僕は本当にスローイングが苦手で、1年目なんか二軍戦でのエラーのうち4分の3は悪送球だったんじゃないかな。そんな時期、池山さんはよく送球練習の相手役になってくれてね。『こうやって投げるんや』って、いつも親身になって教えてくれました。池山さんは僕みたいなダメな奴にも優しかった。悩んでいる人を放っておけない性格なのだと思います」
57歳になった土橋勝征は白髪交じりの頭をなでながら、若かりし頃の池山隆寛を脳裏に蘇らせて目尻のしわを増やした。
豪快なスイングを売りに「ブンブン丸」と呼ばれた池山は現役時代、兄貴肌としても知られていた。後輩が壁にぶち当たれば、迷わず手を差し伸べる。損得抜きでアドバイスを送り、身振り手振りの指導もいとわない。そんな面倒見の良さは指導者に転身後、類まれな武器のひとつとなった。
熱さが影を潜めた日
池山は現役引退から3年後、「ID野球」を叩き込まれた恩師、野村克也が率いる楽天でコーチ業をスタートさせた。古巣のヤクルトで経験を積み、再入団した楽天で要職を歴任。2020年にヤクルト二軍の指揮を託された頃にはもう「熱血漢」というイメージがすっかり定着していた。

