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審判たちの甲子園BACK NUMBER
清原和博16歳の「オウッ」に塁審ビックリ…甲子園史上最強打者の“意外な素顔”「まったく嫌味がないんです」「素直で、ええ子」審判員が語るKKコンビ
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安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2026/08/22 06:01
PL学園1年時、1983年夏の甲子園決勝での清原和博(当時16歳)。すでに高校生離れした迫力を備えていた
清原和博“無言の迫力”「いやな印象は抱かなかった」
試合中、用件は忘れたが、一塁を守る清原に声をかけた記憶がある。無言で振り返ったその表情は、こちらを睨んでいるようでもあり、なにかを言いたげでもあった。「いや、なんでもない」と清沢は左手をあげた。
「なんとも言えない迫力がありましたよ。生意気だとか、いやな印象は抱かなかった。おっとりしとったんでしょうな」
当時45歳。甲子園の大先輩である清沢も、清原の迫力には思わず苦笑いするしかなかった。
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「キヨさん(清沢)も、やられましたか」と笑うのは、審判員仲間の清水幹裕だ。岡崎北(愛知)から東京大学に進学し、外野手として活躍。4年間の選手生活を終えてすぐに東京六大学野球リーグの審判員となり、弁護士と両立してきた。甲子園大会のグラウンドには前年の1982年夏から立っている。当時41歳。
清水は「KKコンビ」が甲子園でプレーした5季26試合のうち、6試合で塁審を務めている。ちなみに、清沢は9試合を担当している。
大阪府高野連に所属する審判員は大阪代表のPL学園の試合をジャッジしないため、東京六大学野球連盟出身者が担当するケースが多くなる。早稲田大学OBの西大立目永が球審8試合を含む15試合、明治大学OBの布施勝久は球審7試合を含む10試合、慶応大学OBの永野元玄は球審4試合を含む9試合、立教大学OBの田中美一が球審3試合を含む11試合といった具合だ。
清水は「KKコンビ」の甲子園デビュー戦でも一塁塁審をしている。
「どの試合だったか覚えていないんですが、清原君がすごいヒットを打ったんですよ。ぼくは一塁塁審でした」
清原はデビュー戦で安打を打っていない。清水が一塁を担当した試合はもう1試合だけ。清原が2年生だった1984年春の2回戦、京都西戦になる。
清原はこの試合で、2打席連続本塁打を含む4安打を放っている。

