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「心の中には常に巨人があったんじゃないか」阪神・小林繁の早すぎる引退のワケと垣間見せた素顔「40万円くらいでガタガタ言うな! と」
posted2026/08/22 06:00
阪神に移籍して大活躍しながらも、30歳の若さで引退した小林繁。バッテリーを組んでいた若菜嘉晴がその胸中を推察した
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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Bungeishunju
1983年10月29日、大阪・梅田の阪神球団事務所。小林繁は「肉体的に、技術的にボクはもうマウンドに立てないんです」(産経新聞)と語り、涙もなくユニフォームを脱いだ。30歳だった。
若菜嘉晴が語る、小林繁が阪神に感じた「限界」
阪神に在籍した5年間で1156イニング以上を投げ、77勝をマークした小林。それでもチームの最高順位は3位にとどまった。バッテリーを組み続けた捕手の若菜嘉晴は、その背景をこう推測する。
「小林さんからすれば、阪神に対して、チームとしての限界を感じたところはあったと思う。あれだけ頑張っても、心が豊かにならなかったのかもしれない。心の中には常に巨人があったんじゃないかな」
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監督は次々に交代し、エース江本孟紀は「ベンチがあほやから」と言い残してチームを去った。周囲の人間がひとりずついなくなる孤独の中で、小林は黙々と投げ続けた。
グラウンドの外では、まったく異なる顔もあった。ルイ・ヴィトンのバッグを持ち、カルティエの三連リングをつけ、パンチパーマが主流だった時代に細身のスマートな佇まいで目立ち続けた。ウォークマン発売前から小型カセットで音楽を聴いていたほどの先進性。大丸百貨店の呉服売り場で働いていたせいか、物腰も言葉遣いもやわらかだった。
そして、後輩への気遣いも人一倍だった。若菜が年俸交渉で球団と揉めていると知った小林は、北海道へ連れ出し、イベントやコマーシャルの仕事を紹介した。「40万円くらいでガタガタ言うな」と言いながら、球団提示との差額と同じくらいの金額を稼がせてくれたのだ。
「彼の場合は、野球というよりも人生に疲れていたんじゃないですか。グラウンドでも外でも、本当に守ってくれる人がいなかったから」
引退後の小林がたどった波乱の人生と、若菜が目撃した素顔の全貌は、本編でさらに詳しく描かれている。
〈つづく〉
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
