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「すごいよ、モノが違う」ディープインパクトが”最強種牝馬”として遺したもの「世界中からいい繁殖牝馬を買い続けられたのはディープがいたから」
posted2026/05/28 17:02
ターフを退いてからも産駒たちが次々に好成績を収め、数多くのGI馬を輩出したディープインパクト
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軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph by
Photostud
発売中のNumber1144号に掲載の[最強種牡馬が遺したもの]ディープインパクト「進化への飽くなき意欲」より内容を一部抜粋してお届けします。
ディープインパクトは「いい馬」の基準外
現在、ゼネラルマネージャーを務めている中島文彦が獣医師としてノーザンファームに入社したのは、まだディープインパクトも生まれていない1999年のことだった。その当時、中島にとっての「いい馬」の基準は、エアグルーヴだった。
父は輸入種牡馬トニービン、母はオークス馬ダイナカール。オークス母娘制覇を達成し、17年ぶりに牝馬による天皇賞(秋)制覇を成し遂げたエアグルーヴは、その競走成績のみならず、ボリューミーかつ均整の取れた馬体や、真ん中に白い流星の入った美しい顔で、ファンの多い馬だった。
前年一杯で現役を引退し、ちょうどこの春からノーザンファームで繁殖牝馬となったエアグルーヴは、いわば中島の「同期」だった。オーラすら感じるその馬体と佇まいに、中島の胸はこういう素晴らしい馬と仕事ができる喜びで一杯になった。
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あの頃、そうした「いい馬」の基準の根底には、海外、特にアメリカの馬を到達点とみなす価値観があったと中島は明かす。
「当時、アメリカから輸入した競走馬は1歳の時点ですでに日本の馬とは体が違っていて、パッと見ただけですぐに分かりました。骨量も筋肉量もまったく違うんです。血統はもちろん、栄養管理もトレーニングも、まずはそこを目標にしていました」
しかしその価値観は、それから3年後に生まれたディープインパクトによって激変することとなる。アメリカから来た種牡馬サンデーサイレンスと、アイルランド生まれの母ウインドインハーヘア。異なる国から輸入した2頭の間に日本で誕生したディープインパクトは、中島によればそれまでの「いい馬」の基準から外れた馬だった。
「すごいよ、モノが違う」
「小柄でしたし、成長過程でも筋肉が足りないことがずっと課題の馬でした。1歳上のお兄さんのブラックタイドが、誰もがいい馬だと誉める立派な馬だったので、よけいそう感じたのもあったと思います。トレセンへも、正直まだ幼くて完成していないなという状態で送り出しました」
ところがある日、管理する池江泰郎調教師が牧場を訪れ、こんなことを言った。
「『すごいよ、モノが違う』って。2歳の秋で、ディープがデビュー前のゲート試験を受ける前後ぐらいの頃だったと思います。池江先生がそんなことを言うのは本当に珍しかったので、スタッフみんな、その言葉は印象に残っています」
そこからの活躍は、誰もが知る通りだ。無敗の三冠を含む7つのGIを制覇。どこか少年のような無邪気さを漂わせながら、まるで空を飛ぶがごとく加速するその走りは、それまでの「最強馬」のイメージをがらりと変えてしまった。

