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「もうこれ以上はできない演技だったな」樋口新葉が明かす栄光と挫折のスケート人生「毎日“私は跳べる”って200回言って寝ました」《引退インタビュー》 

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野口美惠

野口美惠Yoshie Noguchi

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photograph byAsami Enomoto

posted2026/05/18 17:03

「もうこれ以上はできない演技だったな」樋口新葉が明かす栄光と挫折のスケート人生「毎日“私は跳べる”って200回言って寝ました」《引退インタビュー》<Number Web> photograph by Asami Enomoto

今年3月に現役引退とプロ転向を発表した樋口新葉

 必要なのは計画性。そう考え、北京五輪に向けての4年計画をたてる。その主軸となったのはトリプルアクセルだ。

「トリプルアクセルってすごく難しい技なので、みんなが憧れるもの。でもいざ入れようとすると、練習も試合も計画をたてるのが難しかったです。北京五輪で成功させるために、その前のシーズンは結果を気にせず、経験値を上げるために試合で入れていくことにしました」

 五輪の前シーズンは、トリプルアクセルを失敗して点数が下がることもあったが、耐えて跳び続けた。

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「私にとっては、試合で勝つためには必要な技。オリンピックで跳ぶんだという決意で、もし北京五輪に行けなかったらスケートを辞める覚悟でした」

「毎日『私は跳べる』って200回言って寝ました」

 その思いで挑んだ北京五輪シーズンの全日本は2位。代表の座をつかむと、五輪本番では団体戦から参加した。

「オリンピックはまったく経験したことのない場所でした。長い期間ずっと緊張状態で地に足がつかず、練習でもいつも通りに跳べない。空気に飲まれる感覚を体験しました」

 五輪期間中は、坂本が心の支えになった。坂本は、樋口が好きな俳優の学園ドラマのDVDを持参。選手村で一緒に鑑賞し、気持ちをリラックスさせた。

「かおちゃんにはジャンプのアドバイスももらいました。あと日本スケート連盟の方々から『自分は跳べる、と毎日200回言いなさい』って言われて。そんなので出来るか分からないけど、毎日『私は跳べる』って200回言って寝ました」

 団体戦では日本のメダル獲得に貢献。個人戦ではショート、フリーともにトリプルアクセルを成功させた。五輪では女子選手史上5人目の快挙だった。

「今でも思い出しますが、演技直前に裏で待機しているときに心臓がドキドキして本当に飛び出そうで。最初のポーズをとって動き出す瞬間まで『どうしよう、帰りたい』って思っていました(笑)」

 北京五輪後は、疲労骨折も発覚し、翌シーズンは休養。自分と向き合った。

「休養中は、『もうこのまま辞めよう』『いや、ちゃんと締めくくらずに終えるのは違う』と葛藤していました」

 そんな樋口に、岡島コーチから連絡が来たのは'23年の春先のことだった。

【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内「何度も『ここで辞めようかな』と…」樋口新葉が振り返るスケート人生22年の栄光と挫折、そしてラストダンス秘話「岡島コーチが泣いたのは初めて」《引退インタビュー》で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

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