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「もうこれ以上はできない演技だったな」樋口新葉が明かす栄光と挫折のスケート人生「毎日“私は跳べる”って200回言って寝ました」《引退インタビュー》
posted2026/05/18 17:03
今年3月に現役引退とプロ転向を発表した樋口新葉
text by

野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
Asami Enomoto
発売中のNumber1142・1143号に掲載の[引退インタビュー]樋口新葉「痛みは消えないままでも」より内容を一部抜粋してお届けします。
「今の自分のすべての力を出し切れた」
2025年12月21日、現役最後となる全日本選手権のフリーで、樋口新葉は氷に思いを伝えるようにステップを踏んだ。演技を終え、氷上に大の字に寝そべる。競技人生22年分の情熱で燃えたぎる身体を、氷で冷やし、気持ちよさそうに天井を見つめた。
「今の自分のすべての力を出し切れた。もうこれ以上はできない演技だったな」
そう、心の中でつぶやいた。
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スケートを始めたのは3歳のとき。
「母がスケートを観るのが好きで、神宮外苑アイススケート場の教室に連れて来てくれました。始めは氷の上でハイハイするのが楽しくて。幼稚園のときに出た最初の試合は、1番を目指していたら5位。それまで幼稚園のかけっこで負けたこともなく、自分より上に人がいるのが悔しくて、勝つことへのこだわりが出てきました」
11歳で国際大会に初出場すると優勝。ノービス・ジュニア時代から、同学年の坂本花織と共に国際大会へ出場し、エフゲニア・メドベージェワらのロシア勢とトップ争いを繰り広げた。
「すごい選手がロシアにいるのは分かっていましたが、それでも勝たなきゃいけない。ジュニアの頃はとんでもない量の練習をこなしていました。岡島(功治)先生に『ノーミスするまで練習を終われない』と言われて、私も子供だったので『ノーミスしないと怒られる』と必死でした」
平昌五輪の切符を逃し、涙で会場を後に
コーチとの関係性に変化があったのは、2016年に2年連続となる世界ジュニア銅メダルを獲得した頃だ。
「それ以前は先生に『パンクするな』と言われても何を直していいのか分からず、質問さえ出来なかった。それが変化して『この部分が分からない』と質問すれば、具体的に『右肩が下がらないように』などとアドバイスをもらえるようになった。先生と話し合う大切さを感じ始めました」
シニア2年目に、平昌五輪シーズンを迎える。シーズン前半のGP大会では連続表彰台入りを果たし、GPファイナルにも出場。しかし五輪代表の最終選考会となる全日本選手権で、4位となった。一方の坂本はシニア1年目で、破竹の勢いで五輪切符をつかむ。代表発表後、樋口は涙を流し、無言で会場を後にした。
「試合になれば、普段仲が良いかどうかは関係なく、悔しいです。『なんで自分は負けたのか』と悩みました。でもよく考えれば、単純に自分のミス。私はシーズンすべての試合で結果を残さないとオリンピックには行けないと思って、毎試合120%の力で挑んで、最後の全日本で調子が落ちてしまったんです。シーズン全体の計画も立てられず、大事な全日本では自分の気持ちが弱かった。かおちゃんに負けたのではなく、自分の演技が良くないから結果が出せなかった。そう感じたことで、次に繋げられたと思います」

