NumberPREMIER ExBACK NUMBER
2008年の岡田彰布監督“ラストゲーム”で阪神ナインが号泣した理由…“代打の神様”桧山進次郎が明かす確信めいた予感「岡田さんは出し惜しみを一番嫌う」
text by

佐井陽介Yosuke Sai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2026/05/19 17:01
2008年のCS第1ステージで阪神は中日に敗れ、岡田彰布監督と選手たちは涙した
一回り年齢が違う岡田は当時34歳で現役晩年に差し掛かっていた。一方、大卒ルーキーの桧山は二軍暮らしが続いていた。亀山努と新庄剛志が彗星のごとく台頭した「亀新フィーバー」時代。あの岡田に代打・亀山が送られた場面ではブラウン管越しなのに思わず身震いしてしまった。プロ2年目はシートノックでともに右翼を守る機会が増えたが、「先、行けや」「はい!」から会話を発展させられなかった。
桧山が感じていた監督の思い
そんな関係に変化が生まれたのは、桧山が主力に立場を変えた1990年代終盤だった。岡田はオリックスで現役を引退し、二軍の指導者として阪神に戻っていた。
「口数は少ないけれど、選手をよく見てくれていた。リハビリ中には『ヒー、悪いときはこうなってるで』とヒントもくれた。あと……馬鹿話で大笑いしていたら『なんや?』って興味を持ってくれたりね」
ADVERTISEMENT
ただ、指導者と選手の立場は時にすれ違う。岡田が一軍監督に昇格した2004年は、桧山が35歳になる年だった。その年こそキャリアハイと呼べる好成績を残したが、'06年からは代打出場が徐々に増えた。'07年になると、岡田は完全に林威助、桜井広大ら若手の登用へ舵を切った。
林と桜井は守備に不安を抱えていた。投手陣からは事あるごとに「ヒーさんが試合に出てくださいよ」と懇願された。それでも桧山は決して愚痴をこぼさなかった。
「岡田さんが阪神の未来を考える気持ちも理解できたから。もちろん仕事を奪われたら腹が立つし、やってられるかと言いたくもなるけど、それでは組織が成り立たない。長がそう言うのであれば、それに向かって動かないとチームの輪が乱れてしまう。それに、監督は『桧山だったら分かるやろ』と思ってくれている気もしてね」
'06年と'07年は2年連続で打率1割台と不振を極めた。'07年オフには退団騒動にも巻き込まれた。あるスポーツ紙がシーズン終了直後に「桧山退団」と報じ、球団に抗議が殺到したのである。本人が自身のホームページ上で否定したことで事態は収束したが、火のないところに煙は立たない。
「辞める辞めないの話が出て、必死でもがいていた時期やったね」
翌'08年は男にとって、進退を懸けたシーズンでもあった。
その頃、試合前のフリー打撃では打席よりも2、3歩ほど投手側に寄ってバットを構えるようになった。1球目から“馴らし”なしの強振を繰り返した。1990年代から「代打の神様」と崇められていた先輩・八木裕の練習法を真似たのだ。
さらに試合開始直後のティー打撃もルーティンに加えた。球団スタッフに頼み込み、ブルペンの隅や打撃スペースで細々とボールを打ち込んだ。インパクトの瞬間の衝撃で内腿に刺激を与えると、打席での体の反応が「全然違った」のだという。
代打登場時の打率は3割近くまで急上昇した。泥臭く現状打破を図り続ける姿勢を、岡田が認めないわけがなかった。
'08年、打撃コーチと指揮官の間では度々こんなやり取りが繰り広げられた。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内「自分で終わらせるわけには…」桧山進次郎、岩田稔、中西清起が語る2008年岡田監督“ラストゲーム”で阪神ナインが人目を憚らず号泣した理由「集大成といえる試合だったよな」で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。
Number1142・1143号「落合博満と名将の時代。」*書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

