甲子園の風BACK NUMBER
「勘違いしました」39歳でセンバツ制覇→山梨学院赴任も3年間“甲子園不出場”→13年間で14回のヒケツは「暗い雰囲気では、面白くないだろ」
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間淳Jun Aida
photograph byJIJI PRESS
posted2026/03/17 17:53
山梨学院の吉田健人部長(左)と吉田洸二監督。親子関係のチームにあって、どのようなチーム運営をしているのだろうか
「清峰で全国制覇して勘違いしていましたね。自分に能力がないと、山梨学院に来て痛感しました。慢心に気付いてから、自分の知識や経験だけで指導するよりも、選手を成長させるには専門家から勉強した方が良いと思いました。釣りに例えると、魚によって適した餌や道具があるように、選手に合った指導法があり、参考にすべき指導者がいると考えました」
夏の甲子園に届かなかった3年間、吉田監督は投手を中心とした守りに課題を感じていた。当時を、こう振り返る。
「どんなに点を取っても、点を取られる恐怖心が常にありました。練習試合でも、もろさが出てしまう。投手を含めた守りが不安定だと、大会に出場するのが嫌な時さえあるんです」
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不安なく試合に臨み、守り勝つにはどうすれば良いのか。吉田監督の頭には、ある指導者の顔が浮かんだ。野球部の部長として、渡辺元智元監督とともに横浜高校の黄金期を築いた小倉清一郎氏だった。
檜垣は中学時代、有名ではありませんでしたが
小倉氏と面識がなかった吉田監督は、共通の知人を通じて小倉氏に連絡した。そして、チームの指導を依頼した。学校側の全面バックアップを受けて2018年から小倉氏と業務委託契約を結び、守り勝つ野球を3年間教わった。吉田監督は「甲子園で勝てるようになった要因の1つとして、小倉さんの指導は非常に大きかったです」と感謝する。
投手力の強化は、長崎・大崎高校を率いる清水央彦監督を頼った。吉田監督は選手が入部するとすぐに大崎高校へ投手を連れて行った。投手育成に定評がある清水監督は、選手の投球フォームを見るだけで、成長曲線をイメージできるという。その予測は正確で、現在チームを引っ張る檜垣瑠輝斗も、清水監督に太鼓判を押された選手だった。吉田監督が語る。
「檜垣は中学時代、有名な選手ではありませんでした。ところが、清水さんは一目見て『この投手は高校にいる間に伸びる』と言っていました。その言葉を受けて、1年生から檜垣を時間をかけて育成する方針を立てました」
清水監督は、打者から球の出所が見えにくいフォームで投げる投手を育てる能力が特に長けているという。このタイプに合致した投手の1人が檜垣だった。実質2年ほどの高校野球の期間で主力になると予想した清水監督の読み通り、檜垣はチームに不可欠な存在に成長した。
弱いからこそできる戦術もあるんです
吉田監督は言う。

