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「つづけていれば、何かある」入団テスト、育成指名、移籍…苦労人・DeNA堀岡隼人が「大半は苦しい」プロ生活を生き残って10年目に向かうわけ
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石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byJIJI PRESS
posted2026/01/26 11:00
プロ通算で37試合登板のみと、華々しい活躍はまだできていない苦労人の堀岡隼人。それでもここまで生き残ってきた10年目のブレイクはなるか
1回戦で、敦賀気比高の山﨑颯一郎(現オリックス)と投げ合い、8回、被安打3、1失点の好投を見せるが、チームは0‐1で敗退してしまった。つづく夏の県予選は4回戦で敗退し、堀岡は高校時代を終えることになる。
「巨人の入団テストがあるぞ」
もしかしたらこのとき、堀岡の野球人生は終わるかもしれなかった。プロ志望届を出すことは決めていたが、ストレートの球速が140キロを少し超える程度のピッチャーであり、全国区ではほぼ無名の存在。プロに行くのは自分自身、難しいだろうなと感じていた。
そんなとき耳にしたのが、巨人の入団テストが開催されるということだった。堀岡はこれに参加するのだが、何故その選択をしたのだろうか。
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「高校野球を終えた後、監督からテストがあるぞと聞かされ、親にもチャレンジしたほうがいいと勧められたんです。僕としても高校の野球生活を終えていたので練習へのモチベーションになりますし、プロ志望届を出すのだから受けた方がいいだろうということになったんです」
結果は合格だった。本人としてはがむしゃらにやっただけで、なぜ自分が合格したのかはわからなかった。ただ、後にMAX156キロのストレートを投げることになることを考えてみると、関係者の目から見てポテンシャルには光るものがあったのだろう。
しかし安心はできなかった。合格はしたが、ドラフトで指名するといった確約を取り付けたわけではない。合格により確かに指名される可能性は高まったが、ドラフトの選手獲得の展開により反故にされる可能性もあると聞かされていた。
だからドラフトのときは不安で一杯だった。先にドラフト4位で、後にDeNAでチームメイトとなる同級生の三森大貴がソフトバンクから指名を受けた。それから長い長い時間が過ぎゆくことになる。堀岡は苦笑しながら、その当時を思い出す。
「待っている間、周りから『呼ばれなかったらどうしよう』って話しているのが聞こえて、そうだよなって思ったんですよ」
ドラフト会議、最後から2番目で呼ばれた
そしてついに巨人の育成7位で指名された。この日、本指名も含め115名の選手が指名を受けたが、堀岡は最後から2番目となる114番目に名前を呼ばれた。
「いやもう嬉しかったというか、とにかくホッとしました。もう呼ばれないかもしれないと思っていたんで、よかったなあって」
小指の指先が掛かった状態で、堀岡はプロへの道を拓いた。もし、巨人のプロテストを受けず、ただ待つばかりのドラフトだったら、こうはいってなかったかもしれない。テストというリスクに挑んだ、攻めの姿勢が功を奏した。

