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TOEIC満点の慶大ドラフト候補が明かす“その半生” ニューヨーク育ち、コソ勉で最難関学部へ…常松広太郎が「カブスから正式オファー」を受けるまで
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byMasaki Fujioka
posted2025/12/01 11:01
常松広太郎(慶應大野球部4年)にインタビュー。その半生と就活、カブスからオファーの裏側を聞いた
常松 SFCが大好きなんです。国際気質が強く、共学でオープンなカルチャーが根付いていて、長い人生で考えた時に、SFCが良いのかなって。
コソ勉で“最難関学部”へ
——慶應ボーイはみな一様に母校愛に満ちていますよね。そのあたりが他大学出身者にはいちいち鼻につくわけですが……。
常松 ハハハハ。慶應で野球をやっていると、先輩・後輩のつながりがいろいろなところで人生の支えになることが多い。そのありがたみは、たぶん卒業してより気付かされると思います。
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——SFCの中等部では軟式野球部、高等部では硬式野球部に入部しています。野球に励む一方で、留年しないための勉強や大学進学を見据えた勉強も大変だったのではないですか。
常松 いやあ、僕は高2ぐらいまで勉強をした記憶がなくて。高3になる直前ぐらいに成績によって大学の学部が決まることを意識しだした。休日は朝からカフェに行ってずっと“コソ勉”して、内部進学でも難易度が一番高い法学部政治学科に進学することができました。
清原正吾先輩とも「親しいです」
——育った環境は異なるものの、同じように昨年プロ志望届を提出し、指名漏れをした直後、野球界から離れることを決断した1年先輩の清原正吾さんとよく似た思考のようにも思います。
常松 かなり親しいです。下級生の頃から同じ右バッターとして一緒に練習する機会も多かったですから。彼のお父さん(清原和博氏)にもお目にかかったことがあります。気軽にお話しするようなことはできなかったですけど。
◆◆◆
大手商社で働く父に連れられニューヨークで少年期を過ごし、中学から大学までは慶應で過ごした。野球の世界で日の目を見るようになったのは東京六大学リーグに出場し始めた昨春からだ。TOEICで満点をとるような秀才にとって、野球で成功することは最も困難な道のりかもしれない。なぜ彼は海を渡るのか——。
〈つづく〉


