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TOEIC満点の慶大ドラフト候補が明かす“その半生” ニューヨーク育ち、コソ勉で最難関学部へ…常松広太郎が「カブスから正式オファー」を受けるまで
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byMasaki Fujioka
posted2025/12/01 11:01
常松広太郎(慶應大野球部4年)にインタビュー。その半生と就活、カブスからオファーの裏側を聞いた
常松 ニューヨーク州のウエストチェスター群ライ町という、高級住宅街ではあるんですけど、野球が盛んな地域で過ごしました。本場米国のリトルリーグは町内の子どもたちが春から夏にかけてリーグ戦を戦い、そのなかから野球が上手だった18人ぐらいで選抜チームを結成し、世界大会の予選に出場するんです。町を背負って世界大会に挑戦するような野球文化は日本にはないですよね。面白いイベントでした。ピッチャーやショートが僕のポジションでした。野球がオフシーズンになる秋からアメリカンフットボール、冬はバスケットボールもやっていました。運動ならなんでも、ある程度はできていたので、運動能力に長けていたとは思いますね。
TOEIC満点…小学校卒業で帰国
——ニューヨークという東京よりも大きな都市で10歳を迎えたことが、その後の人生に影響を与えたと思いますか。
常松 それは間違いないですね。ニューヨークにはタレントが集積されているというのは子どもながらに感じていましたし、父親の会社や取引先の方々とホームパーティーとなると、いわゆる社交界のように華々しかったです。
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——小学校卒業のタイミングで帰国することになり、中学は慶應湘南藤沢キャンパス(SFC)の中等部に進学しました。なぜ同じ慶應でも普通部の中等部ではなく、SFCだったのでしょうか。
常松 僕はSFCの帰国子女クラスで学びたかった。毎日、ネイティブの先生に英語力を鍛えてもらいたかったんです。アメリカに1週間ぐらい行くと、脳内の思考もすべて英語モードになるんですけど、国内でもそれに近い状況になりたいなと。
——つまり、脳内の公用語が英語になる感覚を大事にしたかったと。
常松 はい。もともとおしゃべりですし、友達もかなり多い。自然と英語力はついていきましたね。
——余談かもしれませんが、TOEICの点数は。
常松 990点です。
——それって……。
常松 満点です(笑)。
——しかし、プロ野球選手を目指すのであれば、中学時代も湘南藤沢の軟式野球部ではなく、硬式のクラブチームが近道かもしれませんし、高校も2023年夏の甲子園で優勝した塾高の方がいろいろな人の目に留まるような気がします。

