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TOEIC満点の慶大ドラフト候補が明かす“その半生” ニューヨーク育ち、コソ勉で最難関学部へ…常松広太郎が「カブスから正式オファー」を受けるまで
posted2025/12/01 11:01
常松広太郎(慶應大野球部4年)にインタビュー。その半生と就活、カブスからオファーの裏側を聞いた
text by

柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Masaki Fujioka
ドラフト会議で指名漏れするも、外資系投資銀行ゴールドマン・サックスの内定、さらにはメジャー球団・カブスからオファーを受けていたことが明らかになった常松広太郎(慶應大野球部4年)。その半生と、大学野球と就活の両立、オファーのウラ側を聞いた。【全3回の2回目/第3回へ】
じつは阪神ファン…その華麗なる半生
——大手商社に勤務するお父様は大の阪神タイガースのファンだったとか。
常松 2003年の10月27日に僕は生まれたんですけど、その日に阪神はソフトバンク(当時ダイエー)との日本シリーズ第7戦に敗れ、日本一を逃しているんです。もし阪神が勝って日本一になっていたら、自分の名前は『虎之助』だったそうです(笑)。結局、父の名前から一文字もらった普通の名前になりました。父は柔軟な考えの持ち主で、一人っ子である自分に対して、面白いと思うことならどんどんやっていけと言ってくれていました。幼少期はサッカーをやっていて、その後、野球にのめり込みました。
——野球を始めたのは小学1年生とかなり早かったようですね。
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常松 それ以前にも自宅でプラバット(プラスチック製のおもちゃのバット)で遊んでいましたけど、硬球のリトルリーグのチームに入ったのは小学校に通い始めたばかりの1年生の時でした。自宅のテレビではスカイAで中継している阪神戦が流れていて、ちょうどその頃は鳥谷敬さんや新井貴浩さん(現・広島監督)が活躍されていた。僕もいつしか阪神ファンになっていましたし、甲子園球場が憧れの場所にもなりましたね。
——そして小学4年生になって、お父様の転勤でニューヨークに移り住むことになった。

