炎の一筆入魂BACK NUMBER
「楽しいことはひとつもなかった、だけど…」イップスやケガを乗り越え戦い続けた、カープ上本崇司のプロ13年間
text by

前原淳Jun Maehara
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/10/13 17:00
10月4日、現役最後の打席に立つ上本
黙々と1人で打ち込んできた打撃が10年目の22年に花開き、初めて開幕スタメンに名を連ねた。6月まで打率は.328をマークし、ぼんやりとだがレギュラーというものも見えた気がした。だが、スタメン出場を続ける経験がなかったことで、肉体がもたなかった。試合前のルーティンを変えなかったことも体に負担をかけていた。7月に下半身のコンディション不良で出場選手登録を抹消されると、秋山翔吾の加入もあり、再びレギュラーの座は遠いものとなった。
それでも22年はシーズン打率.307を残し、新井貴浩監督が就任した23年は代打成功率.467の好成績を残した。代走、守備固めで出場機会を増やしてきたプロ生活の終盤は、課題とされた打撃で活路を見いだした。
「自分のような選手はいつ外されるか分からない。試合に出られるようになっても、不安なのは変わらない」
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喜びや満足感を得る瞬間はほとんどなかった。与えられた出場機会でも「打球が飛んでこないのが一番」が本音だった。恐怖や不安、失敗と挫折……華やかに見える世界で、奥歯をかみしめながら常に全力で走り続けてきた。
13年間、野球を続けられた理由
だからか、30歳を過ぎてからは、左右の太もも裏や左右のひざ、右肘……と、毎年どこかに痛みが生じた。体はすでに限界に達していたのかもしれない。
「ここ5、6年必ずけがをしていた。そうなると、思うように体も動かないですし、自分の体じゃないみたいだった」
出番を減らした今季も、ウエスタン・リーグでは打率.309を残しながらシーズン最終盤に右太もも裏を痛めた。戦力外通告を受けて潮時と悟った。
当初予定のなかった最終戦の出場は、新井監督と藤井彰人ヘッドコーチの働きかけで実現した。恐れていた戦場との別れのときになって、急に悲しみがこみ上げた。打席に入る前から心の中で整理ができない感情が涙となって溢れた。
「正直、楽しいことはひとつもなかったですし、しんどいことのほうが強いんです。だけど、こんな小さな体で、こんなに長く野球をさせていただいた。自分の力とかではなくて、周りの人に支えられて、ここまでできたなと思います」
奥歯をかみしめて駆け抜けた最終打席はまるで、上本の13年間を表すようだった。すべてを出し尽くし、現役生活のゴールテープを切った。

