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藤井聡太22歳は「タイトル戦4年で不戦敗なし」ただ出産前の福間香奈女流五冠が…元A級棋士が見る“棋士の休場”「大山康晴名人は鉄人だった」
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by日本将棋連盟
posted2024/11/07 06:00
第37期竜王戦第3局。藤井聡太竜王・名人(左)は初タイトル挑戦の4年間で“不戦敗なし”である
コロナウィルスが蔓延していた20年から22年の頃は、コロナに感染した棋士は少なかった。しかし、23年5月に「5類」に移行して以降、感染したと発表される棋士は将棋連盟の発表によると20人以上で、羽生善治九段、佐藤康光九段、高見泰地七段、澤田真吾七段、西山女流三冠など。ただ重い病状にはならず、全員が所定の療養期間を経て公式戦に復帰している。
藤井聡太竜王・名人は2016年に棋士になってから8年、タイトル戦に出場し続けてから4年になる。対局や公の場では健やかな様子をいつも見せている。22歳と若いうえに、対局に専念できる環境を日常的に保っているので、体調を崩すことはないようだ。今後も「無事是名馬」を通してほしい。
棋士が病気や負傷、公務などの事由で公式戦を休場する場合、その期間は原則として1年度(4月~翌年3月)である。それは順位戦の規定に関連している。休場しても降級・降級点に該当せず、翌期は最下位の張出となる。2期連続で休場すると、降級・降級点に該当する。なお、順位戦の途中で休場した場合、残りの対局は不戦敗となる。
鉄人・大山康晴はガン転移もA級順位戦に
そんな将棋界にあって鉄人と呼ばれたのが、大山康晴十五世名人である。
公私ともに精力的に活動したものの、長い年月に無理が少しずつ重なったようだ。1984年に大腸ガンに罹患し、同年度はA級順位戦を含めて公式戦を休場した。85年度のA級順位戦では6勝4敗で三者プレーオフに進出し、加藤一二三・九段、米長邦雄九段を連破して、86年に63歳で名人戦の挑戦者になった。大山は中原誠名人との名人戦七番勝負は1勝4敗で敗退したが、病気を克服したのは見事だった。
それから数年後の91年10月、大山は肝臓へのガン転移が発覚した。その時点でA級順位戦の成績は2勝2敗。残り5局を不戦敗するとA級から降級する。「A級から落ちたら引退する」とかねてから公言していた大山は、手術を受ける前にA級順位戦の対局を強行し、4日間で2局も指して1勝1敗の結果だった。そして12月下旬に退院して92年1月下旬に公式戦に復帰すると、A級順位戦で高橋道雄九段、米長九段、谷川浩司竜王を連破して6勝3敗の成績を挙げた。名人戦の四者プレーオフに進出したが、1回戦で敗れた。
大山の驚異的な復活劇は「まさに不死鳥」として称賛された。ただ病状は完全に治ったわけではなく、医者には公式戦の休場を強く言われた。1年の休場でA級から落ちることはない。それでも大山は92年度のA級順位戦に出場し、1局目を指した翌月の7月26日に69歳で死去した。生涯現役とA級順位戦に殉じたといえる。