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“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/03/13 11:02
'85年のバースは打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いた
バースよりもフィットしていた外国人選手をクビに
その一方で、安藤と球団との間に、小さな綻びも芽生えつつあった。
監督1年目となる'82年8月31日の大洋戦で、柴田猛、島野育夫の両コーチによる審判への暴行事件が発生する。興奮した観客たちはスタンドからモノを投げ入れ、球場全体が騒然となった球史に残る一件だ。このとき審判側はプロ野球史上初となる「暴力行為による没収試合」も検討したが、寸前のところで、安藤が謝罪して最悪の事態は回避された。
「三塁へのフライが相手選手のグラブに触れた音が聞こえたにもかかわらず、審判はファウルの判定。それまでに判定への不満が溜まっていたこともあって、一瞬で一触即発の状態になり、僕も止めに行ったけど、小柄で軽いからすぐに輪の外へ吹っ飛ばされてしまった。球審の岡田功さんは、“こんな状態では続けられない!”と激怒してベンチ裏に引っ込んでしまったので、僕が三拝九拝して、ひたすら頭を下げて、試合を続けることができました。岡田さんが阪神OBだったことで、何とか没収試合を免れたんです」
こうして試合は続行された。しかし、事態の収拾に向けて何も動いてくれなかった球団フロントへの不信感が芽生えることになる。さらに翌'83年シーズンのことだ。
「この年、バースとともに(スティーブ・)ストローターという新外国人を獲得したけど、開幕直後はバースよりむしろストローターの方が日本野球にフィットしていました。でも会社側が“投手力を強化したい”と言い始め、僕の意向に反して勝手にストローターをシーズン途中でクビにして投手の(リチャード・)オルセンを獲得。これは今でもまったく納得していません」