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ダルビッシュ有は野茂英雄を“超えた”のか? メジャー日本人最多「1919奪三振」までの道のり…苦しむダルに野茂がかけた“ある一言”の凄み
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph byGetty Images
posted2023/08/20 17:00
野茂英雄を超える「1919」奪三振を記録したダルビッシュ有
野茂が語っていた「一流の条件」
95年。野茂がドジャースでデビューを果たし、トルネード旋風を巻き起こし、全米を席巻していた頃、彼はこんなことを言っていた。
「太く、長く、輝いてこそ、一流なんです」
一過性の活躍でなく、突出した成績を安定して残し続けることが真のプロフェッショナル。憧れのメジャーの世界に飛び込み、一世を風靡しながら、彼が目指した高みだった。
その勲章のひとつ。それがメジャー12年間で築き上げた『1918』個の奪三振と言えるだろう。その数字をダルビッシュが11シーズン目で『1919』へと塗り替えた。ふたりはまさに同じ領域に立った。
ダルと野茂が「メジャーで苦しんだ時期」
だが、そんなダルビッシュにも思うに任せない時期があった。カブス在籍時の19年ごろ、彼は制球難に陥り、なかなか抜け出せないでいた。そんなある日、ダルビッシュは野茂に助言を求めたという。すると野茂は答えた。
「そんなの仕方ないやん」
ダルビッシュが続けた。
「仕方ない、と言えるのはこの世界では強い。僕はそう考えられなかったので」
野茂にも制球に苦しんだ時期は何度かあった。最初はメジャーデビューの直後だった。5月2日のデビュー戦では5回1安打、無失点、7三振の堂々たる投球を見せたが、そこから初勝利までは6登板、1カ月を要した。最も制球に苦しんだ試合は5月12日のドジャースタジアムでのカージナルス戦。4回、無安打、3失点、自責点1で降板を命じられた。理由は7四球、94球の投球数にあった。