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ドネアを倒した世界王者を衝撃KO、中谷潤人とは何者か? 地元の師匠が34歳で急逝、中卒→米ボクシング留学…名伯楽は「将来はスーパーフェザー級」
posted2024/02/25 11:04
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph by
JIJI PRESS
コロナ禍で誕生した初の世界王者
昨年11月6日、後楽園ホールで行われたWBO世界フライ級王座決定戦でジーメル・マグラモ(比国)に8回KO勝ちした中谷潤人。コロナ禍の最中に日本ボクシング界に誕生した、唯一の世界チャンピオンである。
中谷が所属するM・Tボクシングジムは、神奈川県相模原市のJR線と京王線の橋本駅近くにある。会長の高城正宏は元帝拳ジム所属の日本スーパーフェザー級王者。マネジャーの村野健は元駒澤大学ボクシング部の選手・コーチだった。20年前に2人が協力して立ち上げたジムである。
今から7年前、父親を伴ってこのジムに入門するためやってきた中谷は当時16歳。村野の第一印象は、ひょろりとした長身のおとなしそうな少年だった。アマチュアで特に実績を残していたわけでもない。それでも少年はその時「世界チャンピオンになります」と言ったというのである。
大言壮語型とは真逆の、真面目で控え目な人柄で知られる中谷だが、この点だけは「なりたい」ではなく「なる」とはっきりと言ったというから、よほどの決意のもとに入門してきたのだろう。練習させてみると、基本がしっかりしており、かなり素質はありそうだった。それもそのはず、この時までに中谷は同年代の若者たちには想像もできない経験を積み重ねていたのだ。
お好み焼き屋の常連からの勧めでボクシングの道へ
三重県東員町出身の中谷は、もともとゲームに熱中する少年だった。礼儀を身につけて欲しいという親の願いもあり、小学3年から近くの極真空手の道場に通い出した。ただ、空手の試合に何度か出場したものの体負けして一度も勝てなかった。そこで、両親が営むお好み焼き屋の常連から体重制のボクシングがいいと勧められた。桑名市にあるKOZO(コーゾー)ジムに通い始めたのは中学に入ってから。元東洋太平洋スーパーバンタム級王者で世界に3度挑んで勝てずに終わった石井広三が引退後郷里に開いたジムで、中谷は一からボクシングを手ほどきしてくれた石井会長には今でも感謝している。
中学2年、3年と続けてU-15の全国大会で優勝を果たすも、中学3年の7月、石井は34歳の若さで急逝してしまう。突然師を失った中谷は混乱し、途方に暮れた。