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「あの男、甲子園だけ笑うんよ」上甲正典の宿敵、明徳義塾・馬淵史郎が明かす“上甲スマイル”の真実「笑顔なんて見たことがない。鬼。鬼ですよ」
posted2023/07/19 11:00
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Hideki Sugiyama
春夏計17回出場、通算25勝
愛媛の宇和島は「終着駅」の旧城下町である。地元っ子はもちろん言い返す。
「ここは始発駅です」。そんな山と海に囲まれた土地に「笑う練習」をみずからに課す男がいた。薬屋を営むはずなのに、いつも黒土のグラウンドに立っていた。
上甲正典。1988年のセンバツ大会、愛媛県立宇和島東高校野球部を率いて全国の頂点へ。のちに私学の済美高校に転じ、2004年の同大会、もういっぺん教え子たちが甲子園の決勝で腕を突き上げた。いずれも初出場の初優勝である。
宇和島東で春夏11回、済美では同6回、甲子園の土を踏んだ。前述の日本一に加えて準優勝は後者で2度('04年夏、'13年春)。通算25勝15敗の成績を残した。
平井正史、岩村明憲、安樂智大を輩出
勝つだけではない。高校卒業のドラフト1位投手(平井正史、安樂智大)や後年のメジャーリーガー(岩村明憲)らを鍛え、育て、送り出した。8年前に雲上へ向かった。存命なら75歳のはずである。
上甲監督は「スマイル」で親しまれた。緊迫の攻防にあって日焼けの顔に白い歯が浮かぶ。たちまち南国のぬくい微風がベンチの前を流れた。愛媛の野球人でNHKの解説者であった池西増夫の「もっと楽しまなくては」の助言に従った。攻め勝つスタイルと合わせて「豪」にして「柔」というイメージがテレビ画面に線を結んだ。
教え子が語る「スマイルではありませんね」
2022年7月。宇和島東と済美のそれぞれの卒業生が「上甲スマイル」について話してくれた。